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Sr.大槙田鶴子は1934年1月6日、満州国安東県(あんどうけん)で6人兄弟姉妹の次女として生まれました。2年前に他界した姉のSr.千鶴子、次女のSr.田鶴子、三女のSr.武子はサレジアンシスターズの召命をいただき、長男の義弘師はサレジオ会員となりました。Sr.田鶴子の幼少期は戦中・戦後の混乱期でした。新聞記者の父は子煩悩で、子供たちをとても可愛がって育て、あたたかな家庭でした。
その後、父は、母親とまだ小さい子どもたちを残し出張先で病死したため、母は6人の子どもたちを連れて日本に帰国し、星美ホームの近くに住むようになりました。しかし、終戦の年に、母親も病気で子供たちを残して死去しました。亡くなる前、子どもたちは星美ホームにお願いしてほしいとの遺言を残していましたので、みな星美ホームでの生活するようになりました。その後、田鶴子は1945年のクリスマスに洗礼を受け、マリア・マルゲリータの霊名をいただきました。
召命のきっかけは、「山中時代、シスター方が黙想会をしていらっしゃった時の姿、直接には無原罪の聖母のノベーナの間、私が聖体拝領し祈っていた時、どうしても神様に従いたいと強く勧められるように感じて、院長様に話しに行ったと記憶しています」と。
こうして、1952年18歳で東京扶助者聖マリア修道院に志願者として入会し、3年間の志願期を経て、半年間のポストラート、そして修練期を経て1957年8月5日、調布聖心修道院にて初誓願を立てました。
立願後、東京扶助者聖マリア修道院で星美学園小学校、1959年から静岡星美学園小学校、長崎の南山小学校の教師、再度静岡に異動して13年間静岡星美学園小学校で使命を果たしました。1987年から再び長崎に派遣され、南山小学校の校長として10年間奉仕しました。その後は、学校現場から離れ、1年間の生涯養成の研修期間の後、調布マンマ・マルゲリータ修道院の院長、山中では1年間、学童で子どもたちと関わり、次いで静岡、大分、目黒、大村の各修道院で会計係や調理担当などの修道院内の奉仕をしながら使命を生きました。
2018年からは調布マンマ・マルゲリータ修道院で、ラボラトリオや調理場などで自分にできる奉仕をしました。晩年を過ごしたこの支部では、サレジオ神学院の神父様方や修道士、神学生、志願者の方々、また教会の信者さん方からも愛されていました。Sr.大槙はいつもよろこびをもってすること、他者に喜びを与えることを心掛けていました。
2026年8月23日(日)15時、主は、入院先の病院より天の宴の喜びを共にするためご自分のみ許にお呼びになりました。92年の生涯でした。
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