No.1057
どこにいても 主の現存を透き通す宣教者として
親愛なる姉妹の皆さん
四旬節の終わりの時期にあたり、主の復活祭に向けてよい準備ができるようお祈りしながら、皆さまにご挨拶をお届けします。歴史の中でどのようなことが起ころうとも、私たちは常に主の御手の中にあり、御心の中にあると確信しています。この確信は、私たちの希望と、より良い未来への信頼を支えます。それは、真に確かな平和の到来、諸民族の穏やかな共存、そして御父にすべての人が子としての心を開くことによってのみ可能となる普遍的な兄弟愛への信頼です。このことを、教皇フランシスコは次のように思い起こさせてくださいます。「わたしたち信者は、神は万人の御父という理解がなければ、兄弟愛の呼びかけに盤石な根拠はないと考えます。」(『兄弟の皆さん』 272)。
このチルコラーレの表題は、2026年世界共同体感謝の日のテーマと調和します。昨年7月28日に青年の聖年に参加したペルーの若者代表団に対して教皇レオ十四世が謁見の際に託された「どこへ行ったとしても宣教者でありなさい、主の現存を透き通す者でありなさい」と言う言葉に着想を得ています。これは、扶助者聖母会員である私たちにとって、身近に響く委託です。私たちは召命によって宣教者となるよう招かれ、すべての人に対して、愛しご自身を与えるキリストの御顔を示し、日々の生活の中において無償で奉仕するよう招かれています。
第25回総会に向けての歩みの中で
チルコラーレ第1056号「第25回総会に向けての準備」が全会に送付されてから、1か月が経ちました。各言語への翻訳作業はまだ完了していないものの、すでに各自の手元に届き、各管区では第25回総会に向けた準備が始められていることと思います。私たちは共に、「神のご意志の共同体的探求にとっての点検、省察、方向づけのための重要な時」(会憲135)を生きる準備をしたいと願っています。この出来事へのすべての人の協力は、今すでに始まっていて、非常に貴重で不可欠なものです。それにはまず、総会招集のチルコラーレに示されている内容を学び、深化し、分かち合いへの落ち着いた責任ある参加によって行われます。
さらに、祈りを深め、聖霊の光をわたしたちの上に、現代の歴史の上に、そして特にわたしたちの生活、FMA共同体、教育共同体の上に、願い求めることが重要です。わたしたちは主への帰属を新たにし、その呼びかけと向き合いたいと願いながら、こう自問します。「主よ、この特に複雑で、多くの理由から苦しみに満ちていながらも、戦争や暴力、対立にもかかわらず善が成長しているという希望に満ちたこの時代において、私に、私たちの共同体に、管区に、そして会全体に何を望んでおられるのでしょうか」と。
次回総会のテーマはこれです。
「あなたがたは幸いである…」
カリスマの預言的な力をもって、
若者とともに交わりの宣教者として
これは、第24回総会以降の6年間で私たちが取り組んできた道のりの継続性を示すものであり、特に若者、シノダリタ(共に歩む)、世代性、宣教活動、そして平和に関して、現実を注意深く読み解くことに引き続き尽力していく姿勢を示しています。
これまでの教皇フランシスコ、そして現在の教皇レオ十四世の教えは、教会の中で、また教会と共に歩むための確かな言及点です。
聖マリア・トロンカッティの列聖(ローマ、2025年10月19日)は、私たちの聖性の道のりと、ウルグアイに向かっての扶助者聖母会の最初の宣教派遣から150周年記念に向けた準備を照らす、特別な恵みの出来事として位置づけられます。それは、創造性と宣教的大胆さをもって、新しく未踏の地平へと「出て行く」ようにという、絶えず強く迫る招きです。そして、若い世代の教育と福音宣教を通して、今日における神の国の建設に協力するよう私たちを招きます。
この点に関して私たちがよりどころとする歴史的資料は、最初の宣教派遣がモルネーゼにおいて特別な熱意をもって準備され、体験されたことを示しています。それは、ドン・ボスコとマードレ・マザレロが新しい修道家族に刻み込んだ宣教への情熱の実りでした(会憲1参照)。
同じ推進力は、世代から世代へと、扶助者聖母会員の勇気、選択、生活様式、共同体の雰囲気を今もなお生き生きとさせています。この観点から、第25回総会の目標は、私たちのカリスマ的アイデンティティに特徴的な宣教への情熱を新たに燃え立たせることにあります。
それは、日常のありふれた現実の中で生きられる宣教性であり、絶えず急速に変化する現代の歴史や文化の挑戦に開かれ、「移住」の状態にあると自覚する生き方です。最初の大きな「移住」は、神ご自身のものであることを思い起こしましょう。神は私たちに出会うため、私たちを探すため、ご自身から外へと出て来られ、そして世界中の若者が「道であり、真理であり、いのちである」イエスに出会うことができるよう、私たちに協力を求めておられます。
この視点から、私たちは真福八端の福音の論理を、イエスに根ざし、イエスを中心とした生活様式として受け入れます。それは、私たちが希望のしるしとなり、全人類の家族のための光と塩となるように招くものであり、全世界に開かれた宣教を通して実現されます。
イエスは真福八端を告げることによって聖性への道を示されました(マタイ5・3–12、ルカ6・20–23参照)。しかし、イエスの透明な証しとなるためには、主が私たちに託されるものを受け入れることが必要です。そうすることで、私たち自身もまた、日々の生活と託された使命の中で現れる主の御顔を発見することができるのです。
感謝をささげる時
希望と復活されたイエスの現存に満たされたこの時において、会は2026年の世界共同体感謝の日を、扶助者聖母会員である喜びを表す大きな機会として生きようとしています。すなわち、「すべてマリアのもの」である修道家族の生きた一員であると感じること、そして教育的使命を分かち合う人々とともに新たな情熱をもって歩むことの喜びです。
カリスマ性という点から見ると、この祝祭はヴァルドッコとモルネーゼにおける教育的体験の継続であり、現代的な意味をもつものです。ドン ボスコとマードレ マザレロは、家庭的な雰囲気の中での素朴さを保ちながらも、「感謝の日」に大きな教育的価値を与えていました。それは、若者たちが人や出来事を通して神の現存のしるしを認め、日々受けているものに感謝することを学ぶためでした。
感謝は喜びと深く結びついています。それは、創造主が絶えず与えてくださる多くの賜物に気づくことから生まれます。実にその賜物は数多くあります。年に一度の世界共同体の感謝の日は、立ち止まり、それらを認め、感謝し、評価するための恵まれた時なのです。
感謝するよう自らを教育し、また他者を教育することは、決して当たり前のことではありません。日常生活の中で、私たちは自分が与える以上に多くのものを受けていることに気づく機会が少ないのではないでしょうか。感謝の態度は私たちの存在に彩りを与え、受けているものへの自覚、そしてその記憶を大切にし、まず神との関係を、次いで私たちに善を行ってくれる人々との関係を新たにすることから生まれます。
それは自然に身につくものでも、即座に得られるものでもありません。むしろ成熟した人のあり方を表し、深い人間関係を生きる力を示します。その関係は、惜しみなく与える愛、寛大な愛によって特徴づけられ、私たちの人生をより良く、より豊かなものにしてくれる功績を他者に認める姿勢へと導きます。感謝は、近くに生きる人々に心を開かせ、その必要や期待、時には苦しみ、そして必ずしも表には現れない、誠実で兄弟的な関係を求める願いに気づかせてくれます。それは、避けがたい困難や対立の中にあってもなお大切なものです。
感謝は尊い賜物であり、単に愛する力を表すだけでなく、私たちの愛そのものの性質を変え、あらゆる自己中心的な閉じこもりを乗り越える準備を整えさせてくれます。
共同生活は、扶助者聖母会員である私たちにとって、日々お互いが互いにとって賜物であることを認め合う訓練の場です。それは、ドン ボスコとマードレ マザレロの心の創造的な力である真の家族的精神を生きることであり、すべての人の努力と各人の賜物の尊重を必要とする誠実な兄弟愛のうちに実現されます(会憲50参照)。
先に愛してくださる神の愛の表明としるし
エクアドルの「聖心」管区において世界共同体感謝の日を祝うという選択は、その地を「心の故郷」として最後の息まで宣教師として熱く生きたSr. マリア・トロンカッティの聖性への賛辞でもあります。彼女の証しは、宣教者である喜びを私たちに伝え、他者に自分を与えることへの恐れや、神が私たちに多くを求めるのではないかという不安を乗り越えさせてくれます。神は呼ばれるとき、常にご自身の恵み、喜び、豊かな実りをもって私たちを満たしてくださいます。
神が私たちにすべてを、本当にすべてを求めることができ、私たちのうちに「わたしはここにいます、主よ。 ふさわしくない私に信頼を寄せてくださり感謝いたします。その信頼は私の中に新しいいのちを生み出します」と応える準備を求められるのは、神からの愛と信頼の大きなしるしなのです。
聖マリア・トロンカッティが生きた地で感謝の日を祝うことは、その豊かで冒険に満ちた宣教生活の中に、歴史における神の働きを読み取る姿勢、そして現実の中の良い面に信頼をもって目を向け、そこにある善のしるしを見いだす力を再発見することを意味します。
それは、現実をより良くするために、私たちには常に何かができることを思い起こさせてくれます。彼女はその素朴さの中で、美しい考えを抱くこと以上に、すぐに袖をまくって自分の役割を果たすことを私たちに教えてくれます。私たち一人ひとりには、唯一無二の使命が託されているのです。小さなことか大きなことかは重要ではありません。すべての人が大きなことを成し遂げるよう招かれているわけでも、重要な地位に就くわけでもありません。しかしそれぞれが、主から無償で与えられた賜物を認め、評価し、それを他者のために用いるよう招かれています。それによって、私たちが生きる世界をより良くする
この意味において、Sr.マリア・トロンカッティには非常に現代的な側面があります。それは、理不尽な戦争がもたらした結果が、今もなお最も小さく貧しい人々に及んでいる現代において、緊急性を帯びています。私たちもまた、ここで今、彼女の忍耐強く勇敢な歩みにあずかり、母として、宣教者として、平和と和解を築く人となるよう招かれています。それは、サレジオ的奉献生活を生きる女性としての私たちの存在に深く問いかける責任です。私たちは召命によって、先に愛してくださる神の愛のしるし、表明となるよう招かれています(会憲1参照)。それは、Sr.マリア・トロンカッティの場合にそうであったように、特にいのちが最も脆く防御することのできない場において、心を込めて世話のできる現存であり、避けられない困難にもかかわらず、与える喜びは消えることなく、むしろ新たな力を得ることを自覚できるのです。
皆さんが大きな熱意をもって世界共同体感謝の日の準備を進め、若者、家族、協働者たちを巻き込みながら、この特別な出来事を迎えようとしていることを私は知っています。
エクアドル「聖心」管区の管区長 Sr.ルペ・ジュディス・エラゾ・アルセと姉妹たちが、「どこにおいても宣教者でありなさい」 という重要なテーマを選んでくださったことに感謝します。
このテーマは、最初の宣教派遣150周年への準備の歩みともよく繋がっています。
また、エクアドル管区によって作成された提案を会全体に伝え、明確で指針となる説明を添えてくださった副総長Sr.マリア・デル・ロサリオ・ガルシア・リバスに特別な感謝を表します。
これらは、私たちの会への帰属意識を新たにし、創立当初から私たちのサレジオ的アイデンティティに刻まれている宣教性を新たな情熱をもって表現する助けとなることでしょう(会憲75参照)。
皆さんが行っているすべてのこと、そしてこれから行われていくすべてのことに感謝します。主は、聖性への歩みと教会および社会における私たちの使命の実りのために、豊かな恵みをもって必ず報いてくださいます。謙遜と勇気をもって、宣教の心をもって主に従うよう開かれた温順な若者を与えてくださるよう、イエスに願い求めましょう。
最後に、皆さんとご家族に、聖なる平和な復活祭の喜びを申し上げたいと思います。また、会を代表して、総長ドン・ファビオ・アッタルド、サレジオ会総評議会、すべての会員、サレジオ家族の皆様、そしてミッションパートナーの皆さま方に復活祭のご挨拶を申し上げます。
若者たちには、開かれた心で復活祭の喜びの知らせを受け入れ、復活されたイエスと出会いたいという望みを培うようにお願いします。この出会いは、私たちの存在を変え、感情、願い、思いを照らすものだからです(教皇レオ14世 「若者の聖年ミサ説教」(2025年8月3日、トル・ヴェルガータ 参照)。
教皇様の切なる呼びかけに応えて、戦争が終わり、尊敬と建設的な対話の道が見いだされ、全人類のために真の持続的な平和の地平が開かれるよう、祈りと具体的な貢献を続けましょう。
復活された主の母マリアに、すべての人が願い求める正義、愛、平和への願いを委ねましょう。
皆さんに改めて聖なる復活祭のお喜びを申し上げ、私の祈りをお約束します。
ローマ、2026年3月24日
皆さまを愛する総長