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亡き姉妹のおもかげ Sr.金子

シスター 金子 美世子 テレジア

 

帰天年月日

2026年1月26日

場所

東京都

修道生活

72年間の修道生活

略伝

Sr.金子美世子 テレジアは、1932年 10 月16 日、宮崎県都城市で信仰篤く働き者の両親のもとで、6人兄弟姉妹の長女として生まれ、一か月後、都城教会でサレジオ会のカヴォリ師より洗礼を受け、テレジアの霊名をいただきました。父親はメガネ商、母親は主婦として子どもの教育に専念しました。「両親は子どもたちの宗教教育にとても熱心で、子どもの頃、毎晩夕食後、火鉢を囲んで、父が、家族皆に聖書のお話を面白おかしく話してくれました」と言っていました。このような家庭環境の中で、子どもたちはしっかりとした信仰を自然と身につけて成長しました。初告解、初聖体、堅信の秘跡はチマッティ師から受けたことは、生涯にわたって霊的な支えとなり、大きな力となっていきました。終戦の一か月前、Sr.金子が13歳の時、母親が疎開先で病死し、Sr.金子は祖母を手伝って、幼い弟妹のお世話をしました。

召命のきっかけになったのは、Sr,金子が高校1年生のとき、Sr.尻枝満にさそわれて上京し、星美学園を訪問したことでした。そこで初めてサレジアン・シスターズに出会ったこと、そして、幼い頃、両親が宮崎でサレジアン・シスターズの最初の宣教女たちと交流していたことを知りました。次のように記しています。「スオル ベリアッティ・レティツィアに案内されて聖堂に入り、ドン・ボスコとマードレ・マザレロの肖像、そして幼い頃から見慣れていたイエスの聖心と扶助者聖マリアのご像を見たときの感動は忘れられません。シスターレティツィア院長様は『聖母マリア様が導いてくださいましたよ。“元后あわれみの母”を一緒に唱えましょう』と言われ、感謝の祈りをささげました」と。

 

1948年、東京扶助者聖マリア修道院で入会。1951年1月31日、ポストラート、同年6月にはチマッティ師の指導による黙想会を経て修練期に入り、1953年8月5日、初誓願を立てました。

初誓願後は、東京・扶助者聖マリア修道院で星美学園の学校事務室補助として奉仕し、翌年、イタリア・トリノでイタリア語と修道会の霊性と教育を学ぶために派遣され、この間に身につけたイタリア語、創立者の地で体験したサレジアーナとしての精神、本部の長上方との出会いは、生涯の宝となり、その後の使命の中で大きく生かされていきました。

1956年、帰国後は、赤羽の修道院、星美学園で教育や志願者の養成に従事し、1971年からは静岡、1974年からは管区財務など、さまざまな使命を誠実に担いました。世田谷、大分での奉仕を経て、1990年には生涯養成コースに参加し、修道生活を新たに見つめ直す恵みをいただきました。

1991年からは星美学園短期大学と星美学園小学校事務室で使命を果たしていましたが、1993年4月、60歳を過ぎてから宣教女としてフィリピン管区へ派遣され、9年間、特に貧しい人々を優先しながら献身的に働きました。人懐っこく、誰に対しても心を開き、必要に応えながら人々の中に入っていくその姿は、日本でもフィリピンでも、多くの人とのつながりを紡ぎ、愛と勇気をもって惜しまず奉仕していました。

2002年、帰国後はフィリピンでの経験を生かし、宣教の心を大切にしながら、大阪・無原罪の聖マリア修道院で学園事務とVIDESの支部デレガータ、小学生のカテキズム、目黒支部でも教会司牧に力を注ぎました。

その後、体力の衰えと共に、2017年からは調布聖ヨセフ修道院で静養の生活に入りましたが、精神はいつも若々しく、喜びと活気を失うことはなく、信仰の輝きは深まり、サレジアーナとしての生き方において、共に住む姉妹たちによい手本となっていました。

1月25日、朝食後、体調をくずし、病院へ緊急搬送されましたが、翌朝、容態が急変し、愛してやまないおん父のみもとへ旅立っていきました。