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人間であることの美しさを守る

No. 1060
 
 
人間であることの美しさを守る
 
 
 愛する姉妹の皆様
 
 今月、総評議会は、夏季全体会での活動を再開いたしました。会議やさまざまな務めが続く多忙な日程の中にあって、摂理的に与えられた待望の黙想会がその流れを中断し、心を新たにする恵みの時となりました。ドン  ボスコは、この黙想会を、聖性の歩みにおける躍進の時と考えていました(会憲46参照)。わたしたちは共に祈りのうちに、公式視察訪問や各活動部門の活性化訪問を通して数多くの人々との出会いとたくさんの出来事を主にお捧げしてきました。そして、五大陸に広がる共同体において成し遂げられている多くのよい業に対して、主に感謝しています。それは、戦争や先の見えない不安定な状況の中にある地域においても同様です。そうした状況の中で、わたしたちは扶助者聖マリアとわたしたちの聖人方の力強い保護を深く体験することができました。
 
 6月は恵みの時です。この月、わたしたちは典礼の招きを通して、わたしたちの主イエスのみ心に表された慈しみと優しさの力を観想します。とりわけ、教皇フランシスコの回勅『Dilexit nos(主はわたしたちを愛された)』の結びの祈りは、わたしたちの心を深く打ちます。「主イエス・キリストに願います。どうかその聖なるみ心から、いのちの水の川がわたしたちすべてに注がれますように。自らを傷つけてしまうわたしたちをこの流れがいやし、愛すること、奉仕することができますよう強めてくださいますように。そしてこの流れが、わたしたちが正義と連帯と兄弟愛に満ちた世界へとともに歩むことを学ぶよう、背中を押してくださいますように」(220番)。
 
 この確信こそが、わたしたちの人間性と人間の尊厳を輝かせるものです。そしてそれは、光と影、苦しみと希望、そして絶え間ない平和への探求によって特徴づけられる現代の歴史に向き合うときに、わたしたちが責任をもって行動するよう招いています。わたしたちは、自分自身とこの世界をマリアの汚れなき御心にお委ねします。その御心は、従順で、母性的で、優しく、そして力強い心です。また、苦しみを知り、無条件の愛をもって自らをささげた心でもあります。この御心は、御子において娘とされたわたしたちを、いつも受け入れ、寄り添い、導いてくださいます。 
 
人類を救うための回勅
 
 このチルコラーレにおいて、わたしは皆さんと共に、聖父教皇レオ14世の回勅『Magnifica humanitas 偉大な人類(仮訳)』を受け止める助けとなるいくつかの基本的な要点を分かち合いたいと思います。それによってわたしたちは、この回勅をより深く理解し、またそこに示されている教育的な側面、わたしたちの使命にとって非常に重要であるとわたしが考える側面をわたしたち自身のものとして受け入れることができるでしょう。この回勅は、わたしたちのもとに、まさに時宜にかなった時に届けられました。そして、勇気と深い洞察をもって、根本的な問題の核心に迫っています。それは「人間」、より正確に言えば、人工知能(AI)の時代における人間という人格の尊厳を守り育むことです。
                                                              
 イエズス会士アントニオ・スパダーロ神父は次のように述べています。「この建設現場は、わたしたちが望むと望まざるとにかかわらず、すでに開かれています。人工知能は扉をノックしているのではなく、すでに家の中にいるのです。」それはわたしたちの家庭の中に、わたしたちの事業や活動の中に、そして奉献生活を送るわたしたちの生活の中にも入っているのでしょうか。そうです。『はい』です。なぜなら、「人工知能はもはや単なる道具の集合体ではありません。それは精神的・文化的・霊的な環境であり、わたしたちが呼吸する空気であり、わたしたちの考え方や信仰の在り方を形づくる規範」だからです(アントニオ・スパダーロ、インタビュー、『Le Grand Continent』、2026年5月25日)。
 
 この回勅は、まさに現実がそのようになっていることを示しています。そして、人間の尊厳や正義を擁護し、技術力の歪んだ影響を抑制するためには(5番参照)、単に規制を整えたり適切な法的枠組みを導入したりするだけでは十分ではないことを示しています。むしろ必要なのは、進行中の変革の精神的・文化的な根源を特定するための、共同の識別です(6番参照)。これはまた、わたしたちに批判的思考を働かせるよう招く 呼びかけでもあります。それは、この新しい現実を、いたずらに悪と決めつけたり恐れたりするのではなく、すでに進行しているこの変化がもたらす積極的な側面を正しく評価し、それを賢明に活用していくことを学ぶためです。
 
 したがって、この回勅が繰り返し強調している「共同の識別」は、誰一人排除されることなく、すべての人に向けられた招きなのです。実際、この回勅はその受け手として、善意あるすべての人々に向けられ、現代という「建設現場」で、手を汚すことを恐れないよう勧めています(16番参照)。これは、勇気ある共有された責任への明確な呼びかけです。「世界が直面する課題の重荷を、誰一人として独力で背負うことはできない。同時に、自分の役割を果たせないほど弱い者などはいない」(13番)からです。
 
 ネヘミヤの時代、エルサレムの城壁再建のために民全体が参加を呼びかけられたことを想起すれば、今日においてもあらゆる人がそれぞれ確保すべき「城壁の一区画」を担っています。科学者や研究者、企業家や労働者、教育者や立法に携わる人々、市民社会、民衆運動、そして信仰共同体や奉献生活者の共同体に至るまで、誰一人例外ではありません(13番参照)。 それは、人工知能をきっかけとして、「極めて重要な問いがわたしたちの良心に対して突きつけられ、もはや回避することはできません。わたしたちはどこへ向かっているのか。どのような目標に向かって進みたいのか?わたしたちは、民族として、また人類共同体として、どのような方向を選ぶべきなのか?」(6番)という問いに向き合わざるを得ないからです。
 
 教会は、個々の具体的な問題について最終的な答えを与えるものではありません。しかし、識別のための基準を示しています。それは、人間の尊厳、共通善、社会正義、補完性の原理、連帯、財の普遍的目的、平和といった基準です。これらは新しい原理ではありません。しかし、今日の変化の中で改めてその意味を深く理解し、確信と決意をもって実践していくことが求められています。なぜなら、現在進行している変化は、その複雑さと深刻さゆえに、人類にますます大きな懸念を抱かせているからです。今は、必要不可欠な原理や基準を示す段階にとどまるのではなく、それらを具体的な選択と行動へと移す時なのです。
 
 わたしたちはしばしば、「人工知能は人間的なものになり得るのだろうか」という問いを耳にします。しかし実際には、その問いは逆にされなければなりません。すなわち、「人間の知性は、人間らしさを保ち続けることができるのだろうか」 という問いです。『Magnifica humanitas』によれば、これは根本的な人間学的問いであると同時に、神学的問いでもあります。
 
 この回勅には、数多くの豊かな内容が盛り込まれています。そこには、回勅が提示する教義上の新たな考察、取り上げられているテーマや課題、そして過去から現代に至るまでの教会の社会教説に関する教導職への言及があります。また、思想家たちの分析(プラトン、聖アウグスティヌス、ロマーノ・グアルディーニ、ヴィクトール・フランクル、ハンナ・アーレント、ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン)の価値を認め、それらを積極的に取り入れています。さらに、現代世界を描き出すために用いられる聖書の力強いイメージ(バベルやエルサレム)、そして人間を矮小化するあらゆる還元主義や、均衡を欠いた人間賛美に対して、人間という人格の基盤と尊厳を論じる中心的な章もあります。また、少数の人々の手に権力が集中し、そのことが多数の人々の生活を左右している現状に対する構造的な批判も示されています。こうしたすべての理由から、わたしは皆さんに、この回勅をその豊かさと深さのうちに何度も読み返すようお勧めしたいのです。とりわけ教育に関わる内容に特別な注意を向けながら読んでいただきたいと思います。
 
教育への投資
 
 わたしは特に、わたしたちに最も身近なテーマである教育的側面について強調したいと思います。まず確認しておきたいのは、人工知能が教育の世界にもたらす恩恵は非常に大きいということです。AIは、若者たちが日常的に利用している技術的プラットフォームを、より意識的かつ責任ある形で活用するよう促す助けとなるだけでなく、学習のプロセスをより円滑にし、支援することにも大きく貢献することができるでしょう。 
                                                   
 回勅『Magnifica humanitas』の発表に際して、教皇レオ14世臨席のもと、次のことが強調されました。「重要なのは、人工知能の時代の中で、それと気づかないまま既に生きている若い世代に対して、この新しい道具を用いる際の批判的精神を育むことです。教育は、その能力を若い世代のうちに形成するための最も重要な場の一つです。なぜなら、若者たちには、人工知能がもたらす肯定的な影響と否定的な影響の両方を識別することのできる思考力が必要だからです。」(カルロ・マリア・ポルヴァーニ、文化教育省事務局長、ローマ、2026年5月25日 仮訳)
回勅は、このテーマをまさに、「デジタル時代の教育同盟」という一つの章として取り上げています。
 
 このページ(139~147番参照)では、人工知能という観点から読み直された教育の原理、基準、実践について述べられています。その中には、わたしたちにとって既に親しみのあるものもあれば、新たな視点から示されているものもあります。そこでは、現代における教育の課題として、社会・政治的課題、教育学的課題、知的課題、知恵に関わる課題が挙げられています。とりわけ最後の課題 について、わたしたちは特別な警戒を求められています。なぜなら、「注意を払わなければ、真実への愛を欠いた教育システムが生まれかねない。そこでは、絶え間ない情報の流れが、探求、省察、そして見極め(識別)という本質的な営みに取って変わってしまわれる」(146番)からです。
 
 若者の世界をよく知り、その中で活動し、また社会共同体や政治の抱える諸問題の中に身を置いている人であれば、この危険が現実のものであり、教育の成果そのものを脅かしかねないことを知っているでしょう。
 
 これまで述べてきたことを踏まえ、回勅は一つの優先課題を示しています。「まずは、わたしたち自身から、教育に投資しよう!」(238項) わたしたち自身もまた、人間らしい方法でデジタル社会を生きることができるよう養成される必要があります。それは、信仰の成熟と福音に基づくよい生き方の不可欠な一部であり、教育共同体を出発点として、「愛の文明」を築くためでもあります。そのため回勅は、結びの部分で聖パウロの次の言葉を想起させています。「おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。」(一コリント 3・10)
 
 例えば、トランスヒューマニズムやポストヒューマニズムといった思想的潮流は、「それぞれ異なる概念の島々からなる群島に例えることができます。しかし、それらは、技術を中心に据える考え方と、人間という存在の条件・限界を超えようとする夢を前提とした同じ海によって結ばれています。」(n. 116)
 
 transumanesimo(トランスヒューマニズム)科学技術を駆使して人間の肉体や精神的な能力を根本的に拡張し、病気、老化、そして「死」という生物学的な限界すらも克服しようとする思想や運動postumanesimo(ポストヒューマニズム)「人間を特別な存在と見なすのではなく、AI・テクノロジー・動物・環境など、あらゆる非人間的なものとの共生や関係性の中に位置づけ直す思想」
 いずれにしても、それらは結局のところ人々を失望させることになる人間性の理想に過ぎません。わたしたちが歩むべき道は別のところにあります。「一方で古くからのイデオロギーも新しいイデオロギーも、人類に対して技術を通じて、これまでの制約を克服しつつも、他者をはるかに凌駕することで支配しようと企てさせます。これとは対照的なことですが、神の子がわたしたちの人間の状態に入り込むという秘儀は、技術に信頼する人間の発想とはまったく異なる何かを約束するのです。生ける神は、わたしたちの歴史のまっただ中に降りてこられます」(232項)。 さらに、教皇レオ14世は次のように記しています。 「こうして、わたしは信者たちの中の一人として、あらゆる人に、神の御子の前に立って、人工知能(AI)の時代を照らすことのできる人類の誇らしさ(manifica umanità)を観想するよう招きます」(233項)と。
 
 この意味において、教皇は霊性を聖体的体験としての霊性、「すなわち愛における教会としての一致の霊性を強調されています。受肉と過越の神秘は、神が私たちの人間的な境遇に入られ、ご自身を捧げることでそれを変容させられることを明らかにしています。この賜物は聖体祭儀の中に今も現存し、働き続けている。そこでは主がご自身を捧げ、教会を集め、その捧げ物が一致の原理となり、新しい命の源となります。この交わりから、キリスト教的な 連帯もまた生じます。なぜなら、『キリストとの一致は、キリストがご自身を捧げられるすべての人々との一致でもある』からです」(234項)。
 
 わたしはここまで、わたしたちの生活と託されている使命にとって重要だと思われる回勅のいくつかの側面を分かち合ってきました。しかし、この回勅にはさらに深く考察すべき内容が数多くあります。そのためわたしは皆さんに、この回勅を注意深く、そして自らの生き方に結び合わせながら読む時間を確保し、神が宿られるこのすばらしい人間性をあらためて自分のものとして受けとめるようお勧めします。そして、共同体のレベルで受けとめ直すことが行われるなら、すなわち対話や学びを通して、教育共同体の仲間たちと、若者たちと、また公式な集いや日常のさまざまな出会いの中で関わる人々と共に行われるなら、「日々の生活における謙虚な忠実さの中で、AIの時代においてさえ、聖霊がわたしたちの生活の中に『愛の文明』をもたらす時となり得る」 (245項) ということを、わたしたちは真に信じることができるでしょう。
 
 わたしたちは、キリストの母、教会の母であるマリアにすべてを委ねます。聖マリアがわたしたちの歩みに寄り添い、わたしたちのうちに信仰と希望を守り続けてくださいますように。そして、マリアのマニフィカトに心を合わせながら、神のものである喜びを証しする者となることができますように。
 
 6月24日、ヴァルドッコのオラトリオでは、ドン ボスコの霊名日が祝われていたことを思い起こします。サレジアンの伝統に従い、わたしたちもサレジアン・ファミリー全体と心を合わせて、総長ドン ファビオ・アッタールドに、親愛と感謝を込めた祝意を表したいと思います。また、その使命が祝福され支えられますよう、扶助者聖母マリアの取り次ぎにお委ねいたしましょう。
 
 総評議会の姉妹ととともに黙想会を行っているヴェルバーニアのゾヴェラッロより、またわたしたちを温かく迎えてくださったロンバルディア管区「聖家族」の姉妹の皆様に感謝しつつ、皆さまを、愛情をもって思い起こし、祈りのうちにお一人ひとりを心に留めていることをお伝えします。
 
 特に、困難と苦しみの中にあり、戦争や貧困という過酷な状況を生きている共同体の皆さまを心に留めています。皆さまは、自らのいのちに及ぶ危険や労苦をも顧みることなく、惜しみなく自己を捧げて生きる姿をもって、わたしたちに力強い証しを与えてくださっています。心のうちには、平和と正義が再び輝きを取り戻すという揺るぎない希望があります。なぜなら、主は決してご自分の息子や娘たちを見捨てられることがないからです。この確信が日々の歩みを支え、真の連帯と、深い人間愛に満ちた具体的な行いへと姿を変えていきます。
 
ローマ、2026年6月24日
 
皆さんを愛するマードレ