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宣教の心をもつ聖性

No.1059
宣教の心をもつ聖性
 
 愛する姉妹の皆様
 2026年世界感謝祭に際して、皆様お一人ひとり、共同体、そして各管区から寄せられた親しみと姉妹的連帯のしるしに、心から感謝を申し上げます。修道会のウェブページや多くの通信手段を通して届けられた皆様のメッセージを読むことができたことは、大きな喜びであり慰めでもありました。しかし何よりも、私のこの感謝の気持ちを、皆様お一人ひとり、個人へあてたものとして受け取ってくださることを願っています。心を込めて、ありがとうございます。また、スクアに建設される「サンタ・マリア・トロンカッティ複合施設(SMT)」のための経済的支援の呼びかけに対し、皆様が惜しみなく応えてくださった連帯の心にも感謝いたします。この施設には、記念聖堂の建設、社会事業の発展、歴史資料館の保存・管理、さらに修道会の必要に応じた取り組みなどが含まれています。
  皆様と共に、エクアドル管区長のSr. ルーペ・ジュディット・エラソ・アルセ、管区評議会、そして「聖心」管区のすべての姉妹方に感謝いたします。短い滞在ではありましたが、エクアドルという国のさまざまな地域の現実に触れる機会を与えていただけたことに感謝しています。地理的にも気候的にも、人々の暮らしや文化の面でも実に豊かで多様性に富み、さらに「世界の真ん中」に位置する美しい国でした。私は喜びのうちに、扶助者聖母会の共同体、多くのアメリカ地域の管区長、教育共同体、サレジオ会員の兄弟方にお近づきになれました。また、多くの若者、信徒、子どもたち、同窓生、サレジアニ・コオペラトーリ、サレジオ家族のメンバーと出会う恵みもいただきました。皆が家族的な精神をもって集い、サレジオ的カリスマへの明らかな帰属意識を示しながら参加していました。
 
 こうして私は、この管区においてどれほど多くの善が実現され、今もなお生み出され続けているかを実感することができました。それは、Sr.マリア・トロンカッティの存在とその聖性によって深く刻まれた管区であり、同時に、その聖なる証しが、扶助者聖マリアの娘たちにとっても、新しい世代にとっても、現在そして未来に向けて助けとなり、支えとなり、導きとなることへの生き生きとした願いに満たされていることを感じました。
私たちの心には今なお、世界共同体感謝の日の準備と祝賀の歩みを通して共に響いてきたテーマ 「どこにいても宣教女でありなさい」 の余韻が残っています。
 
宣教的聖性の歩み
 この良い管区への訪問の間、私は深い感動をもって、聖マリア・トロンカッティの足跡をたどりました。彼女が生き、その最後の息に至るまで兄弟姉妹のために自らの人生をささげた場所を訪ねました。人々にとって彼女は、皆から「マドレシタ」と親しみを込めて呼ばれる存在でした。彼女が情熱と使徒的熱意をもって担った宣教は、彼女にとって全く新しく、未知のものでした。そのことは、彼女の手紙や彼女に捧げられた数々の伝記にも記されています。
 複雑に入り組んだアマゾンの密林の中を数え切れないほど歩み続けた日々。労苦や疲れ、そして習慣や文化、生活様式を知らない人々と出会う不確かさの中にあっても、彼女が主と委ねられた人々のために完全に自らをささげようとする意志をとめることはありませんでした。私にとって、この旅は単なる訪問ではなく、「聖地」における巡礼でした。私は燃える柴の前に立つモーセのような心で歩もうと努めました。私は、Sr.トロンカッティの聖性の力を身近に感じることができました。それは、彼女の取り次ぎによって起こった奇跡において目に見える形となっています。しかしそれ以上に、今日に至るまで力強く宣教的であり続けるカリスマの生命力という日々の奇跡の中に、その聖性は生き続けています。とりわけ、ここの地においてそう感じました。
 いくつかの宣教地への訪問と地区ごとの集いを通して、姉妹たち、若者たち、信徒の方々と、家族としての生活の特別なひとときを分かち合うことができました。これらの出会いの中で、地域教会、司教様、司祭の皆様、行政関係者の方々から、私たちの存在と教育への取り組みに対する心からの評価をいただきました。そして、サレジオ家族としての歩みが、ますます価値づけられ、強められていることを実感しました。
 最も意義深い体験の一つは、聖マリア・トロンカッティとの個人的な出会い、いわば、「一対一」の対話でした。私はこれまで、彼女の聖性をどこか普通で日常的なもののように考えていました。しかし、実際には決してそうではないことに気づかされました。確かに、伝記を知り、手紙を読むと、一人の人間としての歩みが見えてきます。欠点も徳も、持っている力も問題も、苦しみも涙も、人間としてのすべての現実があります。未知で時に厳しく敵対的ですらある環境の中で、荒々しく困難な日常に向き合う苦労もありました。しかし、Sr.マリアが生きたこと、そしてそれをどのように生きたかということは、真に並外れたものでした。なぜなら、それは勇気ある英雄的な愛によって支えられていたからです。
 
神のみ旨への温順さとマリアへの信頼に満ちた委託
 Sr.トロンカッティのような生涯の秘訣は、イエスへの無条件の信頼と、母であり助け手であるマリアへの全面
的な委託のうちに見いだされます。
 今や聖人として仰がれる彼女も、私たちと同じ人間性と弱さの道を歩んだということを思うと、深く心を打たれます。彼女の個人的な歩みは驚きを呼び起こしますが、その足跡をたどり、彼女が生き、働いた場所を訪れるとき、さらに強く感じさせられるのは、彼女の並外れた献身の大きさ、いや、むしろ彼女のうちに働かれた神のわざの偉大さです。
 そのことは、彼女を直接知る人々、あるいは家族から受け継がれた記憶を通して彼女を知る人々の証言から明らかになります。彼女の聖性は福音に深く彩られたものであり、神のみことばにしっかりと根を下ろし、その声に従順で、み旨に身を委ね、あらゆる状況の中で支えと慰めであった扶助者聖マリアに完全に信頼した人の聖性でした。
 彼女の手、知性、看護の専門性を通して働いておられたのは、まさに扶助者聖マリアでした。そのことを思うと、Sr.マリア・トロンカッティの日常に起こっていたことは、決して平凡なものではなかったことが理解できます。彼女は「アヴェ・マリア」の力強い効力をもって癒しを行い、病や苦しみの中にある人々を信仰へ、神の母でありすべての人の母であるマリアへの信頼を促しました。このようにして彼女は、身体だけでなく、人間としての尊厳や心までも傷ついていた人々を、イエスの現存と至聖なるマリアの助けへの信仰と信頼だけを力として立ち上がれるようにできたのです。
 彼女が診療所で、そして後には病院で用いていた器具は、専門的に十分備えられた設備であり、むしろ単なる看護師というより外科医に近いものでした。しかし違いは、外科医が整えられた場所であらゆる手段を用いて治療するのに対し、Sr.マリアは常に緊急事態や困難、そして不安定な状況の中で働いたという点です。彼女は神の御手のうちにある従順で有能な道具となり、神は彼女を通して、シュアルの人々と入植者たちの身体だけでなく心までも癒してくださいました。
 Sr.トロンカッティの生涯にこれほど明らかに表れているマリア的次元は、私たち一人ひとりへの招きでもあります。すなわち、扶助者聖マリアが私たちの人生の中に現存しておられること、そして「聖性と宣教性」という結びつきが、私たちの霊性を特徴づける重要な要素であることを、私たち自身がどれほど自覚しているかを問い直すよう促しているのです。
 Sr.マリアにとって、またすべての宣教女、宣教師たちにとって、使徒的実り豊かさの秘訣は、イエスに捉えられ、ただイエスだけを中心に生きたことにあります。イエスこそ堅固な岩であり、確かな希望の泉です。彼女の信仰体験においては、聖体を中心とする生活が最も大切な位置を占めています。そしてその信仰は、日々の自己奉献として表されます。それは時に単調であり、しばしば犠牲や労苦に織り込まれ、敗北や挫折を伴うこともあります。しかし、そのような中で宣教する心は、惜しみない心、内的生活の強さ、そして無償の愛へと形づくられていくのです。
 十字架につけられた主へのまなざしは、生きる力を与え、働くための翼を与えます。これこそSr.マリア・トロンカッティを支えた信仰の確信でした。そしてその確信は、苦しみや試練を取り除くのではなく、それらを過越の神秘の光の中で照らし出すのです。
 
サレジオ的な顔をもつ聖性
 ドン ボスコとマードレ マザレロが示した聖性の模範は、「Da mihi animas, cetera tolle(我に霊魂を与え、他のものは取り去りたまえ)」、そして(A te le affido(あなたに彼女たちを委ねます)」に表されています。それは、若者たちの救いのために神へ完全に自らをゆだねる生き方です。それは、「私たちを驚かせるほど徹底的で厳格な模範である。限りない従順、惜しみない寛大さ、簡素で禁欲的でありながら喜びに満ちた生活様式、共同体の使命のための驚くべき勤勉さ、限りない愛徳、厳格に守られ支えられた貞潔と結びついた、愛情深く優しさに満ちた関わり、神の現存を絶えず意識し神との愛に満ちた対話を続ける姿勢、特に信心業において会則の最も小さな規定にまで絶対的に忠実であること、極限の自己犠牲に至るまであらゆる状況に適応する力、そして燃えるような使徒的熱意である。」(アルド・ジラウド『霊的生活の教え』序文 試訳:GIRAUDO Aldo, Introduzione, in BOSCO Giovanni, Insegnamenti di vita spirituale. Un’antologia. Introduzione e note a cura di Aldo Giraudo, Roma, LAS 2013, p. 11).
 ドン ボスコとマードレ マザレロは、自らの息子たち、娘たちが、その人生において神の絶対的な優位を中心に据え、徹底した離脱とためらいのない自己奉献をもって、すべてを神の栄光と魂の救いのために生きることを夢見ていました。
 ドン・ボスコがその娘たちに思い描いていた姿を理解するために、私たちは会憲の追録に収められている、1886年5月24日に彼が書いた手紙を読み直すことができます。そこには、当時の修道会の現実的な必要が示されています。
 「主におけるわたしの意見では、本会には次のような修道女が必要です。すなわちイエス・キリストと、人々の救霊のために働き、苦しむことを非常に愛し、節制と犠牲の精神を身につけた修道女、理由を求めず、呟くことのない正確な従順こそ、すみやかに完徳と聖性に達するために、勇敢に歩むべき道であると確信している修道女が必要です。聖フランシスコ・サレジオと共に 『もし、わたしの心臓の琴線の一筋でも、神のためでないものがあるとわかったら、わたしはそれを引き抜きます』と言えるように自分の愛情をおさめ、自分の心をただ神にのみ向けることのできる修道女が必要です。捨て去った世間と財産と便宜を惜しまない修道女、人々の霊魂に恩恵を与え、かれらを天国の世継ぎとするために、富む者から貧しい者となられた天の花婿イエスのように、清貧と欠乏の境遇に生きることを自分の光栄と思う修道女、天国でたたえられ、天使、聖人たちの輝きのうちに光栄を身にまとわれるイエス・キリストを取り囲むためにこの世でへりくだり、茨の冠をかぶせられ、十字架に釘付けられたイエス・キリストに従うこと以外に何の野心も持たない修道女が必要です。健康な体質、善良な性質、明るく誠実な精神の持ち主、隣人、特に少女たちをキリストに倣って生きるよう導き励ますために、異常な行いをもってではなく、普通の行いをもって聖人になることをあつく望む修道女が必要です。」
 これは、内面主義だけに閉じこもるような、あるいは自己中心的な霊性ではありません。むしろ「扶助者聖マリアの娘たち」という名称そのものを具体的に生きる霊性です。そこには、一つのカリスマ的なビジョン、一つの計画、一つの霊感が凝縮されています。すなわち、とりわけ若者たちが人間・キリスト者として成熟していく歩みにおいて、積極的で心配りに満ちた助け手となることです。しかし、私たちの使命は個々の活動そのものと同一視されるものではありません。むしろそれは、若者たちと共にイエスとの出会いの美しさと喜びを分かち合うよう招かれている修道家族の教育・福音宣教使命全体を方向づける基準なのです。
 この霊性のルーツは、扶助者聖マリアの娘たちとして私たちが生きるよう招かれている召命の一致にあります。私たちの霊的歩みにおける大きな挑戦は、時に押し寄せるような活動と、仕事や日々の具体的な状況の中で神と一致して生きることとの間にバランスを見いだすことです。これは、マードレ マザレロがラス・ピエドラス(ウルグアイ)の宣教女たちに繰り返し勧めていたことでもあります。「神様と一つになる心を、出来る限り保ち続けるのです。絶えず神様とともに生きてください。」(手紙23・3)
 内面性、神との一致の生活こそが、活動に深みを与え、喜びを養い、共同体における慈愛に満ちた関わりを豊かにし、創造性と勇気を支え、使徒職の実りを保証するのです。この歩みは、ドン ボスコが扶助者聖母への感謝のしるしとして望んだ「生きた記念碑」としての私たちの存在を、ますます輝かしいものとしていきます。そして同時に、今日を生きる私たちが、時を超えて続いていくドン・ボスコの「感謝」となることを求めています(会憲4条参照)。
 去る5月8日、私たちは教皇 レオ14世 の教皇在位一周年を記念しました。キリストの代理者、ローマ司教、神の民の牧者であり導き手となるよう招きを受け入れてくださったことに感謝するとともに、教皇とそのペトロの聖職の上に聖霊の賜物が豊かに注がれるよう祈ります。
ドン ボスコとマードレ マザレロと同じ心をもって、私たちは日々の祈りを教皇にお約束するとともに、イエスの呼びかけとサレジオ・モルネーゼのカリスマへの忠実を、喜びと宣教への熱意をもって生きる決意を新たにします。
 5月24日、私はトリノの大聖堂において、諸民族の平和、すべての教育共同体、特に苦しみや困難の中にある共同体、私たちが深く心にかけている若者たち、そして世界と教会の必要を、扶助者聖マリアにお委ねします。
扶助者聖マリアの祭日、おめでとうございます。今年は聖霊降臨の祭日と重なりますが、皆様がこの祝日を祝うことができますように。聖霊が、私たちに今この時を深く生きる恵みと、すべての人のための新しい希望に満ちた未来を見いだすまなざしを与えてくださいますように。
愛情と感謝を込めて、ご挨拶いたします。
 
ローマ、2026年5月24日
 
 
皆さんを愛するマードレ