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亡き姉妹のおもかげ Sr.大串

Sr.大串 ミツ子 テレジア

帰天年月日

2020年10月6日

場所

東京都

修道生活

65年間の修道生活

略伝

 Sr.大串ミツ子は、長崎県長崎市で信仰の篤い父、愛徳に秀でた母のもとに生まれ、幼い時から何事にも信念をもって当たるよう育てられました。

 入会前には、石川県金沢市の聖霊病院や長崎市の聖フランシスコ病院に看護師として勤務していました。いろいろな修道会から入会を呼びかけられましたが、その気にならず、友人と二人で何か所かの修道会を見学した後、最終的に恵まれない子どもたちのために協力したいと思い、1948年6月2日に入会し、すぐに看護師として家族の愛に恵まれない子どもたちのために働きました。

  1954年に初誓願を宣立した後、1966年まで山中修道院、次いで1972年まで守護の天使修道院で看護師と事務職員として献身的に働いた後、再び山中修道院にもどり、1972年からは院長として任務を遂行し、1978年静岡修道院、1979年別府浜脇修道院を経て1985年再び山中修道院に戻りました。1987年には再度山中修道院院長の任に就き、その後、守護の天使修道院で1993年から26年間、祈りと働きの日々を送りました。

 Sr.大串が、善に向かう強い意志を備えた自立した女性、修道女であったことは誰もが認めています。シスターの日々の生活の辞書には「怠け」とか「ずる休み」という言葉は見当たりませんでした。何事においても計画性をもって、几帳面で完璧さを求め、生涯の最後の日々もミサ聖祭、共同体での食事に参加するため、力が尽きるまでがんばっていました。

 自分が選んだ修道生活を意識的に生きようとした彼女の生き方は若い頃から、天に召された最期の日まで変わることはありませんでした。

 シスター大串の最期の一日は実に素晴らしい一日でした。

 規則正しく訪問してくださるヘルパーさんの助けを借りて食事をし、自由にならない体位に忍耐しながら、それでも夕方には「病者の塗油」を受け、姉妹の祈りに助けられながら祈りを唱え、しっかり十字架の印をしてご聖体を拝領しました。そして、夕食をいただき、その後訪ねてこられた姪御さんと30分ほど楽しく歓談し、寝る前の薬を飲んで、そして、静かに天のみ国へ旅立って行かれました。

 まさに「成し遂げた」という言葉がピッタリの一日でした。無駄なく、すべてのエネルギーを使い切っておん父の許へ帰って行かれました。