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亡き姉妹のおもかげ Sr.江良

Sr.江良 チヅエ マダレーナ

帰天年月日

2020年6月2日

場所

山梨県

修道生活

65年間の修道生活

略伝

Sr.江良チヅエは、長崎県佐世保市で農業を営む両親と7人の兄たちの後に誕生した末っ子で、一人娘でした。

家は真言宗でしたが、カテキスタをしていた、本会の姉妹の親戚が、彼女の家に疎開していたことがきっかけでキリスト教に興味をもち、隠れて要理を学んで1946年のクリスマスに洗礼を受けました。

終戦後、教会で本会の宣教女(Sr.トマティス、Srガッサーダ)に出会い、マリア・マザレロのご絵を受け取ったことから、本会入会の希望を抱くようになりましたが、特に母親と、当時すでに他界していた父に代わり家の中心となっていた長男に反対されました。

けれど5男の、「この家にキリスト教徒がいるから、嫁に来てくれない」との嘆きが、修道院行きを決意させました。教会や知人の助けを得て、1948年11月12日に、別府小百合愛児園に行くことができました。

1954年8月5日に誓願を立て、その後の30年あまりを、養護施設で子供たちのために働きました。その後は、院内の仕事に専念し、衣類係やオルガンの奉仕、またサレジオ会の家政扶助などにも携わりました。

1998年から亡くなるまでの22年間、本人が望んだ「一年中富士山の見える」山中雪の聖母修道院で過ごしました。元気な頃は、富士吉田教会でミサの伴奏をしたり、積極的に信者さんとも関わる、明るく人懐っこい存在でしたが、2015年からは静養の期間に入りました。いつも笑顔で霊性センターに来る方々を迎え、親しく話しかけ、自分でできることは自分でする姿勢が、皆の印象に残っています。

今年の3月初めに転倒して搬送された先で肺炎と診断されてそのまま入院し、その後は、熱と息苦しさで、食欲もなくなっていきました。4月下旬に病者の塗油を受けて、少し回復したかのようでしたが、再び病状は悪化し、5月14日に誤嚥性肺炎のため富士吉田市立病院に入院しました。

最後の3週間は、イエスと共に歩む十字架の道でした。5月末に急に重篤な状態にありながら、コロナ禍のため、誰の見舞いも受けられませんでしたが亡くなる前日には、共同体の姉妹も交代で見舞うことができました。 6月2日の朝、病院のスタッフの見守るなか、御父のもとへ帰っていきました。