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亡き姉妹のおもかげ Sr.中澤

シスター 中澤昭子マリア・ローザ

帰天年月日

2024年7月20日

場所

東京都

修道生活

71年間の修道生活

略伝

シスター中澤は、1930年(昭和5年)1月1日、静岡県静岡市駿府城下でメソジスト派プロテスタントの熱心な信者の家庭の次女として誕生し、年齢の離れた二人の兄と一人の姉と共に、温かく教育熱心な幸せな家庭で幼少期を送りました。

けれども5歳のとき、祖父、最愛の母、続いて祖母を失いました。子どもたちの教育のことを考え、父は再婚しましたが、昭子は孤独のうちに過ごしました。高校卒業後、第二次世界大戦によって静岡のカトリック清水教会に疎開し、教師として赴任したサレジアンシスターとの摂理的の出会いにより、神の摂理に導かれ、1948年、聖霊降臨の日に、静岡城内カトリック教会で、Sr.柴山節子が代母となり、受洗の恵を受けました。

 修道生活に入ることになったきっかけついて、次のように書いています。「シスター方に出会って、その生活に興味をもったことも一つですが、日ごろ感じていた聖なる雰囲気や、何かにかけた生き方に意味を持った時、『シスターになりたいですか』と声をかけてくださったシスター柴山にわたしは喜んでそれに応じました。」と。そして家族の承諾を得て、1946年8月9日、赤羽の扶助者聖マリア修道院に志願者として入会しました。当時の志願院について、「戦後の貧しい修道院での生活の中での、労働の日々が、喜びのうちに行われ、それを探し求めるのを競争し合うほど、犠牲を愛に変える雰囲気が志願期、修練期には当然の空気のように流れていました。…神の現存の意識に潤された懐かしい思い出と同時に、共に過ごした同期の姉妹との出会いに感謝、出会わせてくださった神に感謝。」と書き残しています。

 1950年、ポストラート。同年8月5日東京扶助者聖マリア修道院で修練期を過ごし、1952年初誓願をたてました。

 使命の場は東京星美学園小学校で、1968年静岡聖心修道院、再び赤羽の星美学園小学校、目黒星美小学校、、小学校の校長、副校長、教諭として子どもたちのなかで、ドン・ボスコの精神を十二分に発揮し、また修道共同体では院長、副院長としての任務を果たしました。2010年からは、長年の教育現場での奉仕を離れ、東京守護の天使修道院で3年間、続いて2013年から静岡聖心修道院の院長として奉仕しました。

 この間は、子どもたちのために作成した数々の紙芝居やオペレッタは、子どもたちの心に福音の種を蒔くことができるようにという宣教の精神によるものです。

 2018年3月からは東京聖マリア・マザレロ修道院(修学院)に異動し、2023年から、院内の種々の仕事をしながら静養の生活に入りました。2年程前に、すでに癌が発症していましたが、高齢であることから、定期健診をしながら投薬治療をしていました。昨年の9月に体調の不良を訴え、ベッドの上で過ごす時間が増えていくなかで、孤独感や不安を感じながらも、十字架のイエスへの愛と奉献に自分自身を合わせようと努めていました。

 特に晩年、中澤シスターの大きな支えになっていたのは、長い小学校での教員生活を通じて出会った多くの児童、卒業生、保護者、教職員の方々との思い出でした。