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愛の旅路

サレジアンシスターズの養成のために出版されているDMA誌より、日本語に訳した記事を紹介いたします。今回は、2023年冬号 特集の記事です。

愛の旅路

ステファニア・リン

 私は香港のカトリック信者で、宣教女です。私の宣教女としての旅路は2012年コルカタで、マザー・テレサが創立した神の愛の宣教者会の施設で働くことから始まりました。インドで6年間過した後、ビザの延長ができなかったので、エチオピアに行くことにしました。短い間、首都のアディス・アベバで奉仕し、ソマリ州のゴーデにあるイスラム教徒の貧しい共同体でも働きました。残念なことに、数多くの問題と地域の紛争のため、ゴーデの活動は一時的に閉鎖せざるを得なくなりました。サレジアン・シスターズが私をトンジでの活動に呼んでくださったので、2019年から2022年7月までそこで働きました。

 私のことをいつも熱心なカトリック信者だったのだろうと思う方もいるかも知れませんが、実際にはそうではありませんでした。受洗は17歳の時でしたが、霊的な回心の道を歩み始めたのは34歳になってからでした。宣教女になったのはたった11年前、44歳の時です。

 

2つの回心

 私の両親は信者ではありませんでしたが、私がカトリックの学校に通うことを望みました。そのおかげで、私はカテキズムを学び、洗礼を受けることができました。でも、要理のコース全体は私の心に深く触れるものではなく、私の信仰は表面的なものでした。やがて私はカナダの大学で広報を学び、香港に戻ると、専門的な仕事を始め、とても順調でした。ただし、成功を得れば得るほど、私は神から離れて行きました。ミサには行っていましたが、教区信徒としては冷めていて、神よりも自分に傾いていました。けれども、神は決して私を見捨てなかったのです。

 2001年9月11日、ニューヨークでテロの攻撃があった時、私は遅くまで自分の事務所で仕事をしていました。仕事の鬼である一方、私はストレスをやわらげるために、パーティーをしたり、お酒を飲んだり、たばこを吸ったりすることも好きでした。9月11日の事件を知るとすぐ、私はクライアントに電話して、あの事故のために計画を練り直すべきか相談しました。多くの犠牲者を出した悲劇的出来事には無関心だったのです。ある女性の友人は私に電話してきて、テロ攻撃に対する不安を伝えました。それでも私は仕事が忙しく、電話を切ってしまいました。彼女は私を「冷血な」人間だと言いましたが、私は気にせず、むしろ「『冷血な』人間で何が悪いの?私にはやることがあるんだから」と思ったのです。そういうわけで、私は夜遅くまでクライアントたちに電話したり、メールを送ったりして連絡を取りました。ところが、帰り道、私は心の中にある声を聞きました。その声は私に尋ねました。「あなたはいつから、こんなに鈍感で冷たい人間になってしまったのですか?世の中に興味はないのですか?」その声は私の心の中でこだまし続け、その方は神なのだとわかりました。でも、私には答えられませんでした。私の人生で大事だったのは仕事、楽しみ、自分自身でした。その後数週間私は暗い時間を過し、弱いカトリック信者だったことを恥ずかしく思いました。こうして、私はこの世と神との関係を結び直す決心をしました。私は小教区に戻り、告解をしました。そして、主任司祭に自分の深い闇を打ち明け、カテキズムのコースに申し込みました。神に対する熱い思いは、どこにいても神を探すよう私を駆り立てました。小教区教会でも、みことばのうちにも、神学を勉強するときも、ボランティア活動や貧しい人々への奉仕でも。これまでとは全く違った道へと私は導かれたのです。観想的な祈り、黙想は沈黙のうちに私を神近づけました。日常生活のけたたましさの内にも、私は神の声を聞くようになったのです。道に迷っていた私は、道を見つけました。

「ですから宣教活動にもっとも欠かせない源泉は、聖書と聖体に復活したキリストを見、心にキリストの火を宿し、瞳にキリストの光をたたえる者たちです。彼らは、きわめて困難な状況や、真っ暗な闇の中にあろうと、決して死ぬことのないいのちをあかしするはずです」(教皇フランシスコ、2023年世界宣教の日のメッセージ)。

 

 2つの呼びかけ

 神はすぐには私を宣教女としてお呼びにはなりませんでした。2008年、40歳の時、私は15年間働いた広告の部門を去るように呼ばれました。私は自分の仕事、会社、上司、同僚、クライアントが大好きだったので、とても難しい決断でした。最高の給料を得て、安楽な生活を続けることができたかもしれません。私は決めかねていました。仕事を辞めることは私を不安にさせました。1年間祈ったあとで、ついに私は決心しました。2つの宗教NGOに問い合わせをして、すべてを神のよき御手に委ねました。主のおかげで、私は香港のワールド・ヴィジョンに受け入れられ、広告業界での15年間に及ぶキャリアに別れを告げました。この決意は、貧困と不正についての世界的問題に私の目を開かせ、悲惨な現実の原因についての深い理解を得るきっかけとなりました。仕事を通じて私にはスリランカやネパール、インドのような発展途上国を訪れる機会がありました。私はたくさんの家族に出会い、つらい話を沢山聞きました。私は無数の人々が毎日、貧困、飢餓、病気に陥れられていることに気づきました。私はまた最前線にいる大勢のボランティアの人々の利他的な働きに立ち会い、彼らの愛、力、熱い思いに心を打たれ、インスピレーションを得ました。

 2010年、私はコルカタの神の愛の宣教者会に身を置き、神が私を宣教女として生きるように呼びかけておられるのを感じました。その頃、コルカタでは富める人々と貧しい人々との間に大きな隔たりがありました。お金持ちは度を超えた富を持っているのに、貧しい人々は路上か貧民街で暮らしていました。それでも、私がより多くの愛を見たのは、まさにそうした貧しく混沌として、痛みと悲しみに満ちた場所でした。私は終末期患者の家で奉仕しました。日に日にゆっくりと私は多くの愛を見出しながら、彼らとの絆を結びました。さらに私は世界中から来た大勢のボランティア、シスター達とも出会いました。異なる宗教の人もいました。素晴らしい体験でした。1つの場所であれほど多くの愛を見たことはありませんでした。あちこちに天使がいました。「私は天国にいるのかしら」と自分に問いかけました。イエスは言われました。精神において貧しい人々、苦しむ人々、悲しむ人々、柔和な人々、あわれみ深い人々は幸いである、と。そうです。私は発見しました。コルカタでは、貧しい人々が多くの愛を持っている、彼らは謙遜で、深く悲しみ、あわれみ深く、そして最も祝福されている、と。そうした祝福のうちに、私には神の呼びかけがいつもより力強く聞こえたのです。

 香港に戻ると私はカトリック信徒宣教者会と連絡を取り、聖霊の導きのもと、霊的指導者と宣教者の友人たちの助けを得て、自分の召命の識別に取りかかりました。数か月の絶え間ない祈りの後、神は私が貧しい人々の中で奉仕することを望んでおられると確信しました。こうして、世界のさまざまな場所での信徒宣教者としての私の奉仕が始まりました。

インド、コルカタ:感謝は喜びの秘訣

 コルカタで私は身体と精神に障害のある若い女性のために働きました。彼女たちは実際には14歳から40歳までの年齢でしたが、皆子どものように無邪気でした。私は保健師であり、また教師でもありました。保健師としては、彼女たちの身体を洗い、髪をとかし、食べさせ、おむつを替え、手洗いに行く手伝いをし、洋服を手洗いしました。教師としては、彼女たちの知性のレベルに応じて、基礎的な知識を身につけさせました。

 重い障害を抱え、曲がった手と脚で一日中ベッドに横になっている若い女性たち―コミュニケーションを取ることもできず、痛みと悲惨のうちに生きているのです―を初めて見た時、私は心底気の毒な思いをしました。どうして神は残酷にも彼女たちをあのような状態で生れさせたのか、理解できなかったのです。でも徐々に私は気づきました。彼女たちは身体が不自由で精神にも問題がありますが、いつでも口元に微笑みを浮かべているのです。私がおむつを替える時、食べさせる時、飲ませたり、一緒に遊んだりする時、彼女たちは微笑んでいました。香港にいた時の私より、彼女たちの方がずっと幸せでした。彼女たちの人生はつらいかもしれませんが、幸せなのです。単純で清らかな魂を持っていて、ささやかなことにも即座に感謝します。だから、彼女たちは障害のない人々よりも幸せに生きているのです。私たちは彼女たちにとって役に立ち、奉仕していると考えがちですが、世界中から来たボランティアに感動を与え、多くの失われた魂に息を吹き込んでいるのは実は彼女たちなのです。私たちはとかく障害者の不自由な身体だけを見がちで、神の目には大切な魂を見落としているのです。コルカタに着いたばかりの頃、不自由な少女たちに奉仕するよう神が私を送り込んだのだと思っていましたが、あの少女たちから学ぶことを神は私に望んでおられるのだとわかるようになりました。彼女たちが私の先生でした。毎日、彼女たちは私が自分の欠点を見つける手助けをし、私の勝手な考え方を捨てるように教えてくれました。私自身を見出すのも手伝ってくれたのです。

 

 私の変化、私の喜びは私の両親の私に対する感じ方も変えさせました。そのおかげで、彼らは私の信仰についてもっとよく知りたいと願うようになりました。2013年、彼らはコルカタの私を訪ねに来て、私が身体障害者のために喜んで働いているのを目にして驚きました。彼らもボランティア活動を経験し、聖霊の多大な働きかけもあり、香港に戻ると、私のカトリックの信仰に興味を持つようになりました。そしてカテキズムのコースに通い、洗礼を受けました。神のみわざの素晴らしさははかり知れません!

 

 多くの人々は宣教女になるため、私が多くの犠牲を払ったと思うかもしれません、けれども実際には私は何も犠牲にしていません。自分の過去をすべて捨てていなかったら、私は今日の自分、喜びにあふれる人間ではなかったでしょう。香港での生活を考えると、仕事の達成と満足による素晴らしい時を思い出します。私がいた広告会社は多くの人々から認められ、称賛されていたので、地に足のついた仕事を続ける動機や励ましとなりました。けれども、深い喜びは与えてくれませんでした。やがて、私の成功は幻影に過ぎないのだと気づきました。障害を抱えた若い女性たちは真の喜びを私に示してくれました。単純ですが、何よりも人間的な感じ方につながっているのです。いつも幸せなあの少女たちこそ、秘密を教えるために神から私に送られた喜びの宣教女だったのです。おかげで、私は神の呼びかけに答えられるように自由になれました。

 

エチオピア、ゴーデ:福音宣教は刈り取ることではなく、種まくうちに。

 コルカタでのほぼ6年間の奉仕の後、私はエチオピアに移り、ゴーデのイスラム教徒共同体に奉仕することになりました。そこは炎熱のソマロ砂漠の中央にある小さな町で、何年も続く旱魃に苦しめられていました。ゴーデの住民は概して貧しいソマリアのイスラム教徒で、乾燥した枝で作った小屋に住んでいました。彼らには清潔な水も栄養に富む食べ物もなく、医療の助けも不十分でした。私たちの仕事はその地域の貧しい人々の中でも特に貧しい人々に向けられていました。娼婦、シングルマザー、病人、身寄りのない女性たちです。彼女たちは私たちの仕事の計画に取り込まれていて、私たちは彼女たちが経済的に自立し、人間としての尊厳を取り戻せるように、手芸品の制作を教えました。女性たちは毎日私たちの小教区にやって来て、手芸品を作り、私たちは彼女たちの子どもたちの世話をしました。ほとんどの女性たちは血清反応が陽性で、さらに結核や他の不治の病にかかっている人々もいました。彼女たちが子どもたちを後に遺して次々と亡くなっていくのを見るのは耐え難いことでした。私たちにはたくさんの仕事と挑戦がありましたが、働き手の人数は多くはありませんでした。1人の司祭に来てもらえたのですが、数か月後、新たな宣教地に行ってしまいました。1人のシスターもガンと診断され、去って行きました。私たちの使命はたった3人の信徒に任されました。ミサも秘跡もカテキズムのクラスもありませんでしたが、私たちは手芸のプログラムを続け、貧しい女性たちを助けるために最善を尽しました。けれども、2019年の末頃、ゴーデの小教区とミッションは閉鎖せざるを得なくなりました。

 10年間続いたゴーデでのミッションの大きな問題は国内外の政治的要因によって引き起こされました。カトリック信者はごくわずかでした。あのシスターがガンの治療のため、ゴーデを離れる前に私は尋ねました。「とどまり続ける価値はあるのでしょうか」。シスターは答えました。「誰も来ないとすれば、私たちは残るべきです」と。神のおかげで、シスターはゴーデに戻って来ました。主任司祭がおらず、わずかな働き手と時折のボランティアしかいませんでしたが、イエスを教え示し、イエスの愛を分ち合い、みことばの種をまくためにゴーデの貧しい女性たちと共にいるのは幸せなことでした。

 

南スーダン、トニ:愛の種は決して無駄に蒔かれることはない。

 ゴーデの小教区の一時的な閉鎖の後、サレジアン・シスターたちは私を南スーダンのトンジでのミッションに招きました。はじめのうち、私は教職を手伝いましたが、コロナウィルス感染症が入って来て、学校は閉められてしまいました。そこで私たちは貧困を減らすことと、コロナウィルス感染症予防のためのプロジェクトに取り組み、マスクの使い方を教えたりしました。

 

コロナウィルス感染症流行期の奉仕

 南スーダンでのコロナウィルス感染症の影響は他の国々と比べるとさほど重大ではありませんでしたが、経済的、社会的には大きな衝撃を受けました。食料品価格の急騰は多くの家族を極度の飢えに押しやり、ある人々は難民キャンプに逃げ込まざるを得ませんでした。国中の学校が1年半の間閉鎖され、それが原因で家庭内暴力と青少年非行問題が増加しました。私たちは家庭訪問プログラムで、学校で食事をできないため多くの生徒たちがやせてしまったことに気づきました。そこで私たちは新たに食事の提供に取り組むことにしました。

 

 世界中からの寄付のおかげで、私たちは5歳以下の栄養不良の児童、授乳中の母親、高齢者に無料でミルクを提供する「ミルク・プロジェクト」を開始しました。このプロジェクトは3ヶ月間続き、3000人以上を助けることができました。私たちは大勢の若者たちが幼い弟・妹たちやお年寄りを連れて来てミルクを飲ませているのを目にしました。若い人々の強い愛情を見るのは本当に感動的でした。

 

 「ミルク・プロジェクト」の次は「種プロジェクト」でした。私たちは登録された各家族に50㎏の種を与え、牛を貸し出しました。種まきを始めなかったら、食料不足は一層ひどくなったでしょう。収穫の後、登録した全家族に、私たちは50㎏の種を請求しました。無償の意味を教えるためでした。「種プロジェクト」はかなりの成果を収めました。多くの人々に家に帰り、種をまくことを奨励しました。ある人々は食べ物を蓄え、おなかをすかせている隣人を助けようとして畑で懸命に働きましたが、他方で絶望に陥る人々、盗みや殺人にたどり着く人々もいました。戻ってきた多くの学生たちはボランティアとして無償で少年たちに教えることを選びました。また他の生徒たちは学校に戻ることを選び、私たちと一緒に貧困を減らすプログラムに取りかかりました。困難に直面すると、積極的に立ち向うことも、落ち込むことも選べるのです。

 

闘争の中で奉仕すること

 南スーダンでは部族間でつねに一般市民や軍人間の衝突がありました。トンジでの最初の週に夜間の銃声を聞きましたが、何が起きているかわからなかったことを覚えています。翌日、司祭は私たちに20人以上の人々が殺され、ある家族が報復のために皆殺しにされたと話しました。その夜、小教区教会は恐れを抱く近隣の人々の避難所となりました。銃声は夜間だけでなく、昼間にも聞こえるようになりました。私たちの生徒の1人といとこは種族間の復讐で殺されました。衝突があるたびに、近所の人々は私たちの学校に子ども連れで、荷物も運びこみました。こうして、学校、教会、病院は小さな受け入れキャンプに変りました。状況の悪化に伴い、多くの人々は安全を求めてトンジから逃げ出しました。

 

 復讐し合ったり、殺したりする人々は悪人だと考えてしまいますが、実際にはそうではありません。彼らはまだ幼い頃から、自分たちの部族の水源や土地のために闘うことを教え込まれます。敵を殺すと、英雄になるのです。復讐のために殺すことは伝統で、家族を守り、生き延びるための方法です。私たちの父である神の目には、悪い人は存在せず、悪いことをする人がいるのだと思います。衝突の場所には、愛と平和の種を蒔かなければなりません。

 

 平和に向う第一歩は敵も人間だと「信じる」ことです。2020年私たちの学校はコロナウィルス感染症のために閉鎖されましたが、生徒の1人ジェームズ・マウトはいつも私たちと一緒に働いてくれました。ある日、彼のいとこは200人以上の人々が殺された、市民と軍部の死闘の罪のない犠牲者となりました。ジェームズはとても悲しみましたが、仕返しすることは間違っているし、無駄なことだと私に言いました。亡くなったいとこの姉妹と家族のために私たちが祈ることだけを望みました。ジェームズは敵の友人になりたいとは思っていませんでしたが、敵である人々もまた、この構造的な罪の犠牲者だとわかっているので、許そうとしたのでした。ジェームズは、私たちの敵も人間で神の子たちなのだと、私にわからせてくれました。そうすることでのみ、私たちは平和を築き、報復の繰り返しを止めることができるのです。

 

コロナウィルス感染症後の奉仕:神が整えてくださる。

 学校が再開されると、私は貧しい少女たちのためのサンタ・バキータ「学習促進プログラム」の学校で英語と宗教を教えることになりました。その数ヶ月後、トンジでの農業養成プロジェクトでシスターたちの手伝いを頼まれました。当初私はこの役目を引き受けるのに乗り気ではありませんでした。農業のことを何も知りませんでしたし、興味もなかったからです。でも結局はあまりに人手不足だったので、引き受けることにしました。ともかくシスターたちは私に言ったのです。「これが神のお望みなら、助けてくださるでしょう」と。

 

 農業養成プロジェクトは、初めから容易ではありませんでした。管理のもとに置くのがむずかしかったのです。それでも私たちの実習生(すべての女性たちは貧しい農婦でした)が困難に立ち向っているのを見ると、私の心の中の不安は日に日に小さくなって行きました。そうした農婦の大半は20歳を過ぎたばかりの文盲の母親で、それぞれが耐え難い重荷を負っていました。子どもたちのために座り込んで嘆く代りに、少しでもよい機会を捉えようとしていました。彼女たちが太陽の下の畑で、幸せに歌ったり、働いたりするのを見ていると、私のストレスと不安は吹き飛ばされました。困難や苦しみを乗り越えようとする彼女たちの努力を目にし、私も落ち込んではいられませんでした。

 この農業プロジェクトに私を関わらせてくださった神に感謝します。逆境により損害を受けた女性たちの真の証しのおかげで、私の心の中の混乱は取り除かれました。これまで以上に神にのみ信頼し、神の望むことを慎ましく行うべきだと確信しました。神はいつも私たちを見守ってくださいます。

 

 2022年7月、トンジでの仕事はまだ山積みでしたが、私は年老いた両親と多くの時間を過すために1年の休暇を取ることにしました。私にあのような特別な、祝福された忘れられない経験をさせてくださり、真の宣教女としてのあり方を身をもって示してくださったサレジアン・シスターズの方々に感謝します。

 

内部を見つめて

 私の宣教女としての人生、直面した挑戦、困難について思い返すと、私はいつも側にいてくださる神を感じます。神は私に愛だけでなく、気遣いも示してくださいます。私が立ち向えないことをさせようとはなさいません。神は私たちの日常生活のささやかなことのうちに、私たちを呼んでおられるのです。私の場合、9月11日のテロ事件があった時、神は私を呼んで、宣教女としての道のりを一歩ずつ導いてくださいました。

 

 神は私たち一人ひとりに壮大な計画を持っておられます。神の御目には、私たちは皆かけがえのない貴重な存在なのです。私たちは全員呼びかけられ、異なる使命を受け取っています。私への呼びかけは社会的弱者の貧しい人々に奉仕することでしたが、あなたへの呼びかけは、自分の子どもたちの世話をして、主によって満たされた人生の喜びを証しすることかもしれません。あるいは真面目に働いて、よき管理者としての役目を証しすることかもしれません。その鍵はあなたの答にあります。祈りのうちに神に心を開くことによってのみ、私たちは頑なな心を柔らかくし、神にふれていただき、身の回りの人々や諸々のことがらを通して、神に呼ばれるようになるのです。神の呼びかけに私たちが答える時、神はご自身の計画に沿って生きるために一歩ずつ私たちを導いてくださいます。

 

 けれども、私たちの心が忙しすぎれば、神の呼びかけは聞こえません。私たちの心があまりに頑ななら、神の呼びかけに気付かないでしょう。神の呼びかけを聞いて、感動しても、私たちが何かを手放せず、すぐに応じなくとも、あわれみ深い私たちの父は強制しないでしょう。ただし、私たちが心を準備するための時間をくださるでしょう。一人ひとりが御父の呼びかけに答えるための独自の方法と時を持っています。私たちの日々の生活で、神の呼びかけに耳を傾けられるよう、神において充足した生活をしながら、いつも自由で疲れを知らない心を持ち続けましょう。

 

 神はいつもよき方です。