No.1054
聖人になることを恐れないで!
愛する姉妹の皆さま
このチルコラーレのタイトルは、ヨハネ・パウロ二世が幾度も若者たちに向けられた「聖人であることを恐れてはいけません!」という呼びかけにインスピレーションを得ています。1999年6月29日のメッセージで、特に2000年の世界青年の日(ワールド・ユース・デイ )を想起しながら、聖人であることの必要性、そして何よりも聖人になることを恐れてはいけないと繰り返し訴えられたことを思い出しております。聖マリア・トロンカッティの列聖の喜びに満ちた雰囲気が今も続いており、11月に入り日が経つにつれ、私たちはこの唯一無二の素晴らしい出来事の記憶だけでなく、その恵みも心に刻まれています。世界各地から寄せられる反響は、この列聖がもたらした善を、個人としても共同体としても深く理解していく事実を証ししています。しかし、全員がこれほどまでに強烈な体験をしたということは、この列聖が扶助者聖母の娘としてのわたしたちに何を残しているかを、心と考えと祈りをもって立ち戻る必要性を浮き彫りにしています。この出来事は、実際、私たちの生活にどのような影響を与えているのでしょうか。私たちに何を変えるよう求めているのでしょうか。なぜ何もなかったかのように私たちは前に進めないのでしょうか。
確かに、諸聖人の祭日を祝うこの11月に、私たちは、この側面が私たちの生活とサレジオ霊性にどのように現存すべきかについて考えずにはいられません。
列聖の恩恵
列聖の動機を理解することは重要です。なぜ教会は聖人を列聖するのでしょうか?彼らの生涯や人格を称賛するためでしょうか、それとも、唯一聖なる神の偉大な業を御自身の息子や娘たちの心の中で成し遂げられたことを私たちが称えるためでしょうか。
なぜ私たちは、新たな回心への呼びかけ、人生の真実性への呼びかけ、天に目を向ける希望を再発見することを受け入れることができるのでしょうか。 聖性は天への呼びかけであり、神に属する現実であり、神について、神の救いと変容をもたらす奇跡について語るものです。私たちの心が開かれ、目が光で照らされ、日々の出来事を読み解き、私たちが心にかけていること、私たちにとって重要だと考えているものを理解できるために、聖パウロがエフェソの信徒への手紙で述べているように、この出来事を振り返ってみましょう。
「どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いて下さるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように」(エフェソの信徒への手紙 1章17節—18節).
聖マリア・トロンカッティは、ドン ボスコやマードレ マザレロと同様に、聖人とは並外れた特別な人ではないことを教え、私たち全員が聖性に召されていることを思い出させてくれます。しかし、日々の生活の中では、わたしたちはしばしば聖性が達成不可能な目標であるかのように振る舞い、この世と永遠において私たちを幸せにする偉大なこと、美しいことを追求するのではなく、むしろ信仰や愛のレベルを低くしがちになっています。聖人たちの生涯は、複雑な現代にしっかりと根ざして生き、この世にあって星のように輝くように招かれていることを、心に留めて生きることが可能であることを教えてくれます(フィリピの信徒への手紙2章15節参照)。この歩みの中で、私たちは、会憲5条に記されているように、青少年を巻き込むよう求められています。
こうして、青少年への福音宣教に奉仕することを通して、
青少年と共に聖性の道を歩みながら、
会の栄光のために生きることを誓う。
サレジオの教育者として、私たちは、私たちに託された一人ひとりが、特に聖体とゆるしの秘跡において、イエス・キリストとの変容をもたらす出会いを生きるよう導き、また、師であり導き手であるマリアの現存に心を開くよう導きます。私たちのカリスマ的な伝統において、これらは教育という建物の柱であり、サレジオの顔を持つ聖性への道において、中心的な位置を占めています。会憲第71条に次のように記されています。
秘跡と聖母に倣って生きることは、
サレジオ的霊性とその教育の基盤である。
それは「快活、仕事、信心」の
真剣な努力のうちに表明される。
この努力こそ
青少年の聖性の確実なプログラムであり、
青少年を仲間の中での使徒とする。
少年少女たちが時に抱く誘惑とは、ある種の自己不信、諦め、悲しみであって、それゆえに、何か輝かしいもの、重要なもの、美しいもの、大切なものを信じるのは何の役にも立たないと考えてしまうことです。しかし、神のご計画を実現するために自分の人生をユニークなものにしたいと望む人は皆、悲しみや、人生に立ち向かうための力がないという誘惑と戦わなければなりません。私たちの使命は、福音書の、イエスが癒した「腰の曲がった婦人」に、「その先」を見る力、「上を見上げる」力を取り戻させたように、青少年が、決して自分自身に閉じこもることなく、自立した成人へと成長するよう助けることです。
宣教の心を持つ聖人たち
宣教師たちは、人間的な観点から見れば、寛大で大胆な男性と女性ですが、彼らの偉大さは、彼らの資質や能力、成し遂げた偉業にあるのではなく、むしろ彼らの聖性にこそあるのです。彼らは信仰と希望、深い愛、豊かな内面生活を持ち、完全に神に属し、福音宣教に情熱を注ぐ人々です。彼らの豊かな使徒的実りの秘密は、まさにこの深い人生の側面の中に求められなければなりません。それは、神の意志に対する完全な従順と、彼らの限りない寛大さを証ししています。彼らは宣教師です。それは、何よりもまず弟子だからなのです。
「イエス・キリストにおいて神の愛に出会ったかぎり、すべてのキリスト者は宣教者です。わたしたちはもう自分たちを「弟子」や「宣教者」というよりも、「宣教する弟子」といいます。納得できなければ、最初の弟子たちに目を向けてください。彼らはイエスのまなざしに出会った直後、喜んでそれを告げ知らせに行きます。『わたしたちはメシアに出会った』(ヨハネ1章41節)。サマリアの女はイエスとの会話の後すぐに宣教者となり、多くのサマリア人が『女のことばによって』(ヨハネ4章39節)イエスを信じたのです。パウロもイエスに出会った後に、すぐ…『この人こそ神の子である』と、イエスのことをのべ伝えた(使徒言行録9章20節)のでした。一体、わたしたちは何を待っているのでしょうか」(「福音の喜び」120項)。
この確信と喜びをもって、私たちはつい先日、トリノ・ヴァルドッコで、サレジオ会の兄弟方の最初の宣教出発150周年をお祝いしました。11月8日と9日、イタリア宣教推進の企画により、約160名の若者、わたしたちサレジアンシスターズ、ドン・ボスコのサレジオ会員が2日間を共に過ごしました。い家族の雰囲気の中で行われ、皆にとって、養成、分かち合い、祈り、そしてお祝いの体験であり、イタリア国内や海外で、宣教ボランティアの体験をした若者たちの幅広い関与にとって重要な瞬間であり、サレジオ会の使命の核心に立ち帰らせる分かち合いの時、貧しい青少年に対する優先的な愛は、青少年のためだけではなく、青少年自身が共にできた体験でした。続けて、11月11日、扶助者聖マリア大聖堂において、第148回FMA宣教派遣の扶助者聖母会員7名、 156回SDB宣教団のドン・ボスコのサレジオ会員15人、およびそれ以前の宣教団から9人が、総長ファビオ・アッタルド師の司式で、宣教担当総評議員のホルヘ・マリオ・クリサフルリ神父も共同司式した聖体祭儀で「宣教の十字架」をお受けしました。
私は、副総長Sr.マリア・デル・ロサリオ・ガルシア・リバス、宣教担当総評議員Sr.ルトゥ・デル・ピラール・モラ、「マリア・アウジリアトゥリチェ」管区(IPI)の管区長Sr.エンマ・ベルガンディ、「聖家族管区」(ILO)の管区長Sr.ステファニア・サックマンと共に同席しました。
深い静寂と感動に包まれた中、聖体祭儀の冒頭で、マリア・アウジリアトゥリーチェ大聖堂の主任司祭、ミケーレ・ヴィヴィアノ神父は、150年前の1875年11月11日、ドン ボスコがまさにこの大聖堂で、アルゼンチンへの最初のサレジオ会宣教師の出発を祝ったことを思い出させてくださいました。それは、「世界の果てまで」行くという夢の実現の始まりであり、今、なお、続いている信仰と希望の体験の始まりを印すものでした。その祝福された日から、毎年、宣教的行為が繰り返され、青少年、特に最も貧しい青少年に福音を伝えるという、共有の使命となるカリスマ的アイデンティティを表すものとなっています。
150周年記念式典は、11月12日の朝、ジェノヴァの「ポルト・アンティコ」に続きました。それは信仰と、その地から出発した最初の10人のサレジオ会宣教師たちを記念して行われた巡礼でした。私たちは、「サヴォイア」号が出航する地点まで、彼らが辿ったルートをボートで辿りました。
もうひとつの感動的な瞬間は、サレジオ会の修道院にある宣教派遣博物館の開館式でした。そこには、ドン ボスコが愛したジェノヴァの街への数多くの旅の途中で何度も立ち寄った小さな部屋があります。博物館は単なる追憶の場ではありません。それは単にサレジオ会の歴史を記憶に留めることだけではなく、世界中に広がるカリスマの驚くべき豊かさに気づき、召されたあらゆる場所でキリストに忠実に、サレジオ会の使命を今日生きるために、私たちに注意深く気を配ることを求めています。
宣教の共通の歩み
すでに、宣教担当総評議員のSr.ルトゥ・デル・ピラール・モーラが管区長および管区秘書宛てに送った手紙で予告したように、宣教部門のPEM(宣教霊性プロジェクト)チームと協力し、最初の宣教派遣150周年の準備として、1877年に最初の宣教師たちが到着した南米の地を巡るオンライン巡礼を、本会全体に提案しています。総評議会の姉妹たちとともに、この機会が、教育共同体(指導者グループ、ADMA、卒業生、サレジアニ・コオペラトーリ、ミッション・パートナー、青少年、その他)の参加も得て、すべての人によって評価されることを願っています。
したがって、個人ではなく教育共同体として登録し、可能な限りオンライン巡礼に参加していただくようお願いします。2027年に迎える最初の宣教派遣の記念日に備え、宣教の刷新という意義深い歩みを遂げることを願っています。集会は1時間半の予定で、Zoomプラットフォームを通じて実施され、イタリア語、ポルトガル語、フランス語、スペイン語、英語、ベトナム語、ポーランド語への通訳が付きます。
世界の多くの地域で戦争や緊張が続いているこの特別な歴史的時期に、特に聖母マリアの無原罪の御宿りの祝日に向けたノヴェナの中で、平和のために熱心に祈るよう皆様にお願いします。今年のノヴェナは、聖マリア・トロンカッティの伝記からインスピレーションを得ています。そこでは、彼女の個人的な生活、共同生活、そして使命においての、聖母マリアの特別な存在と保護が強調されています。
私たちも揺るぎない信頼をもって聖マリアに向かい、教皇レオ十四世の表現による「武器を持たない、武装解除の」平和という貴重な贈り物を求めましょう。力や戦争を手段とする平和ではなく、対話、正義、ゆるしに基づく平和、柔和と謙遜でさまざまなレベルでの抵抗を克服し、すべての人々の幸福を唯一の目的とする平和です。平和はすべての人びとにとって緊急の必要であり、それを追求しようとする勇気ある人々の成果です。
この点に関して、私は再びレオ14世の言葉を引用します。「平和は確かに神の賜物ですが、同時に、日々それを築き上げることのできる男性、女性を必要とします」(2025年11月14日の演説)。
総評議会の姉妹の皆さんとともに、皆様、ご家族、教育共同体、若者たち、そして皆様に託されている青少年や子供たちに、平和と希望に満ちた聖なるクリスマスをお祈り申し上げます。
総長ファビオ・アッタルド神父様、サレジオ会の兄弟の皆様方、そしてすべてのサレジオ家族の皆様に特別な思いを込めて祈りと祝福をお祈りします。
とりわけ、戦争、暴力、迫害、不正の状況下で生きる教育共同体のために祈りましょう。
扶助者聖マリアが一人ひとりを見守り、そのすべての苦しみが、神の御心にとって尊いものであると私たちは確信しております。
心を込めて、皆様が光り輝くクリスマスと、主の祝福に満ちた新年、2026年をお迎えくださいますようお祈り申し上げます。
ローマ 2025年11月25日
皆様を愛するマードレ