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教皇への愛、教会的交わりの保証

No.1049

教皇への愛、教会的交わりの保証

 

 愛する姉妹の皆様

 このチルコラーレで、私は、「Maria Ausiliatrice」ベトナム管区の管区長Suor Maria Hoang Thi Thu Ha(マリア ホアン ティ トゥ ハ)と管区の姉妹が、世界共同体感謝の日の実現に力強く情熱的に取り組んでくださったことに感謝の意を表したいと思います。私たちは皆、すべての姉妹、若者、子ども、大人が、会と教育共同体、そして特に世界中の共同体にいる多くの若者たちを、代表者によって表された美しく、優雅で、愛らしい感謝の表現を心に思い描いています。

 このイベントの準備にしても、またその実施においても卒業生、後援者、保護者、司祭、その他多くの方々に、関与していただけたことを評価しております。これは、私たちの姉妹たちのpresenzaが教会や社会レベルでどれほど開かれ、サレジオ精神の豊かさが、若者の心を意欲的で喜びに満ち、福音的な希望に開くことができるかを示しています。

 私は彼らに会うことを切望していました。そしてその数日間、彼らの愛情や、特殊な生き生きとした帰属意識と交わりを体験することができました。その土地特有の繊細さ、礼儀正しさ、活気を通じて、世界のあらゆる場所に存在している私たちに、現実のベトナム文化の典型的な表現を紹介する機会を得ました。私たちは、人々の心に多くの善が蒔かれたことを主に感謝し、この管区に天のすべての祝福を呼び求めます。

 

教皇フランシスコを偲んで  

 感謝の祭典は、教皇フランシスコの予期しない逝去によって特徴づけられ、驚きと悲しみの雰囲気のうちに開催されました。キリスト者もキリスト者ではない人も、他の宗教に属する人も、慎ましい人も著名な人も、子供も若者も大人も、誰も無関心でいることはできませんでした。私たちは皆、一瞬、孤児(みなしご)になったかのように感じました。フランシスコは、すべての人の父である「良き羊飼い」の特質を体現した教皇であり、彼が私たちに残した多くの贈り物の中には、「希望の巡礼者」であることを求める聖年の恵みがあります。これは、現時点で、しばしば希望を失い、傷つき、迷いながら生きている人類の必要性に、最も良く応えてくれるテーマです。

 希望は私たちに新しい人間性を夢見させ、勇気を与え、神の時を待ち、神の忍耐を持つ方法を知る助けとなります。教皇フランシスコは愛と希望を与え、すべての人にすべてを捧げ、自分を顧みることなく、主イエスと、母であり助けであるマリアへの子としての信頼から、この力を汲み取りながら生きられました。この愛は、ブエノスアイレス大司教であったベルゴリオ枢機卿が、毎年5月24日にアルマグロ地方にある聖マリア大聖堂でキリスト信者の助けである聖マリアの祝日の荘厳ミサを捧げていた時代にまで遡ります。この聖マリア大聖堂で彼は洗礼を受け、神の母を愛することを学んだのです。12年間、彼を父として、また羊飼い(牧者)としてお与えてくださったこと、そして教会と全人類への奉仕のため、熱心に生き抜かれた教皇職に、私たちは主に感謝します。

 扶助者聖母会員として、私たちは、第 24 回総会での、その突然の訪問によって、独特な方法で具体化された彼のメッセージと慈愛を心に留めています。わたしたちは、総会議員、共同体、そして総本部の信徒の協力者に至るまで、一人ひとりへの配慮を忘れることはできません。彼は誰に対しても笑顔と眼差し、言葉と祝福を携えました。彼は私たちに、単純であり、独特な父親の存在の郷愁と同時に、彼が示した方向への歩みを続けながら、残されたその遺産を裏切らないようにしたいという強い望みを残されました。だからこそ、私たちは孤児(みなしご)ではなく、永遠の価値に満ち、光と希望に満ちた貴重ないのちの継承者であると感じるのです。

 

あなたはペトロです

 マタイによる福音書第16章13-20節には、ペトロがイエスをキリスト、生ける神の子であることを認める告白があります。そしてイエスは、ペトロに特別な驚くべき力を与えながら応えます。「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」と。

 イエスは人間的な観点から、ペトロよりも影響力があり、裕福で、有能な他の人を教会の土台として選ぶこともおできになったことでしょう。それにもかかわらずイエスは、漁師のシモンを選ばれました。他の弟子たちは、シモンがイエスの代理者であり、すべての使徒たちの中で第一人者であるとすぐに認識し、信仰において彼らを強め、交わりを保つという使命を与えられました。

 大聖レオ教皇は、この福音書の一節について解釈し、イエスのことばとしてペトロの優位性、イエスの力への参与、時間的な継続性について、説明しています。「父が私に私の神性を啓示したように、私も今、あなたにあなたの尊厳を知らせます。あなたはペトロです。私、すなわち侵すことのできない岩、二つの民を一つにした礎の石、誰も築くことのできない土台の上に立つ者は、あなたに告げます。ペトロよ、あなたもまた岩である。なぜなら、私の力によってあなたは堅固にされるからです。私に属するものが、あなたの参加を通じて、私の力によって、双方にとって共通のものとなるのです。私は、この岩の上に私の教会を建て、地獄の力もこれに打ち勝つことはできません。これは、私はこの要塞の上に永遠の神殿と私の教会の崇高さを築くことを意味します。それは天に届き、ペトロの信仰の堅さの上に高くそびえ立つでしょう」(大聖レオ、叙階記念の説教 第4 2-3節)。

 これは、イエスとの出会いと、特別な使命を受け入れることの奇跡です。この使命に加えて、天の国の鍵を授けられるという贈り物もあります。この鍵は、積極的な役割を果たすものです。 結ぶ、そして、ほどく。大切なものに結びつけ、精一杯生きることを妨げるものから解き放つことです。これは、ペトロの岩に建てられた生きた教会に属する恵みです。鍵を持っているペトロは、ナザレのイエスに従うことに生涯を捧げた少人数の仲間の中で最初の人です。それは、師に対する熱烈な愛の中で、裏切りによる痛みを、イエスおよびその慈悲と救いのメッセージに対する堅固で勇敢かつ恐れを知らない信仰の表明へと変える人です。ぺトロは、教会という大きな建物のすべての石に堅固さを与える石です。生きた石として、今日においてもなお、決然と忍耐強く師に従うことを選び続けています。

 

サレジオ的霊性における教皇への愛

 サレジオ家族と本会において、教皇への愛は、花嫁である教会の頭、キリストの代理者としてのペトロに対する真摯な愛です。私たちの会憲には、この点に関して、洗礼を受けた人や奉献者としての使命を生きるための明確な指針が示されています。「キリストの代理者、全教会の最高の牧者である教皇は、修道生活の観点からいうと、わたしたちの第一の上長である。わたしたち各自は、ドン ボスコとマードレ マザレロの特徴であった教皇に対する愛を公言し、その教導に子としての同意を示し、誓願によっても彼に従う。青少年も、教皇のことばを受け入れ、信仰のあかしと勇気をもってそれをあかしするように教育する」(会憲 109) 。

 教皇への愛と忠誠は、私たちのカリスマの不可欠な側面であり、したがって私たちの霊性に深く根ざした要素です。ドン ボスコとマードレ マザレロは、まず私たちに対して、教皇への 子としての愛、そして彼の教導に対する従順さと素直さの模範を示してくださいました。彼らはこれが教会における交わりの保証であることを理解していました。実際に、本会は、世界のどこにおいても教会共同体に奉仕し、生活し、活動しています。

 私たちには、愛に満ちた完全な献身、すなわち 「子としての」という表現が示すように、教皇の教導に対する全面的な一致が求められています。これは、私たちの生活において従順の誓願によるものだけでなく、教育や福音宣教の使命においても、また誰に対しても、いたるところで証を立てる際に求められるものです。

 私たちの会則は、このサレジオの伝統の一つの側面への忠誠心を表すために、毎年「教皇の日」を祝うことを勧めています。これは、教育的に非常に価値のある祝祭であるとともに、父、牧者、教師である教皇のためにより熱心に祈る機会となります(参照:会則53条)。

 私たちすべてにとって、教皇への具体的な愛の表れは、その教導文書を大切にし、学び、伝え、実践することへの努力です(参照:会則54条)。また毎日、教皇のために祈ることも重要な行いです(参照:会則24条)。

 私たちの創立者が教えてくださったように、教皇に対して持つべき愛と忠誠心を確認するため、トリノ市訪問の際に教皇フランシスコが述べられた非常に意義深い表現をもう一度紹介いたします。「彼については多くのことが語れますが、特に今日強調したいのは、次の三つの点です。第一に、神の摂理への信頼。第二に、特に最も貧しい若者たちのために司祭となる召命。第三に、教会、特にペトロの後継者である教皇に対する誠実で献身的な奉仕です。(…)ドン ボスコは常に教会と教皇に温順で忠実であり、その助言や司牧指針に従って行動しました。今日、教会は、この偉大な聖人の霊的な子どもであるあなたがたに向かい、具体的な方法で、彼らが住んでいるところに何度も何度も出かけて行き、子どもたちや若者たちを見つけるようにと招きます」(教皇フランシスコ、サレジオ会員とFMAへ、トリノ 2015年6月21日)。

 わたしたちにとってよく知られているドン ボスコの「三つの愛」は、聖体 、扶助者聖マリア、そして教皇です。ドン ボスコにとって、それは、数々の試練に直面したピオ九世を支え、教会にとって悲劇的な瞬間に彼を照らし、教皇の権威、権利、教会の教えを擁護することへの絶え間ない献身でした。彼は自らの修道家族が、歴史的な多くの出来事により疑問視されていた時代にあっても、教皇の権威を支える存在となることを望みました。「修道会の目的:聖座の権威を支えること」(MB XVIII 477, 489, 491; MB VII 622; MB X 762)。

 「教皇に何らかの願いを示された時、それは私たちにとって命令である」(MB V 573, 874)。「教皇の言葉は、すべてにおいて私たちの規則でなければならない」 (MB VI 494)。「神があなた方を、ペトロの最高の座、不可謬の座の教えに反するような言葉を口にしたり、行動をとったりすることのないようお守りくださいますように」 (MB XI 387に記された宣教師へ贈る言葉)。

 ドン ボスコがローマを訪れる際、非常に貧しかったにもかかわらず、熱心に集めた寄付金を持参していました。これは、彼自身だけでなく、彼の青少年たちの間でも集められたものでした。かつて、ドン・ボスコは教皇に対して、聖ペトロの献金のために千フランの封書を差し出しました。これを受け取ったピオ九世は、叫びました「おお、これは驚くべきこと! あなたの財布はいつも空っぽなのに、私にお金を持って来るとは! 私の金庫もまた、いつも空っぽですが」(MB IX 808)。

 私たちは、ドン・ボスコの愛と教会への献身が、常に教皇からの信頼によって報われてきたことを知っています。ピオ九世が、イタリアの歴史の中でも最も困難な時期の政治的課題に対応できる適任の司教候補者のリストを提出するようにと、ドン・ボスコに直接求められたこともあります。

 レオ十三世は、面会の際にドン・ボスコを父親のような優しさで迎え、彼に対して、単に「サレジアニ・コオペラトーレ(サレジオ会協力者の一員)」であるだけでなく、「サレジアニ・オペラトーレ(活動するサレジオ会の一員)」であることを約束されました(MB XVII 103)。 確かに、レオ十三世は、私たちの創立者ドン ボスコの最後の10年間において、その使命に対して寛大に協力し、常に温かい心で接しておられました。レオ十三世は、自らドン ジョヴァンニ・カリエロを北パタゴニアの教区長に任命し、また、最初の面会でドン ボスコの聖性についての確信を示し、サレジオ会の強化に尽力することを、ドン ミケーレ・ルアに約束されました。

 マードレ マザレロと最初のFMA共同体は、初めからドン ボスコと共に、教皇への愛と、その教導に対する忠実さを共有していました。多くのエピソードが、教皇の教導に対する真の同意と愛情、教会への深い帰属意識を証明しています。1875年12月、彼女は共同体を代表して教皇に、クリスマスの祝意を込めた手紙を送っています(手紙 4,13 参照)。

 クロニストリアには、教皇ピオ九世とマードレ マザレロとの出会いが記されています。彼は、謁見に参加しているサレジオ会と扶助者聖母会の宣教グループが、これから南米宣教へ出発することを聞き、驚嘆の色さえ示し、ドン カリエロに、ドン ボスコは、どこからこのような人を連れてくるのかを尋ねられました。

 感動した謙遜なマードレ・マザレロは、ピオ九世のお姿から目を離さずに小声で言いました。「主よ、あなたの代理者を祝福してください!」と。次いでドン カリエロは、扶助者聖母会の総長を紹介しました。教皇は、総長と姉妹たちに祝詞を述べ、愛をこめてこう付言されました。あなたたちは幸福な者、主から祝福された人です。それはドン ボスコの娘だからです。あなたたちも福音の働きの広大な畑を持ち、非常に多くの善を行うことでしょう。また、優しく愛深いまことの母として多くの善をするでしょう。宣教女には、記念として次の言葉を残されました。「あなたたちは、すべての人のために水を受け、かつ注ぐ大きな噴水でありますように。噴水とは、つまり、隣人のために役立つ徳と英知です」と。そして、両手を各々の上に置き、愛深い父のように言われました。「神が、あなたたちを祝福されますように。あなたたちが、非常に多くの善を行うことができるために!」宣教女たちは感動し、そして感謝しました。マードレは口を開きませんでした。全精神を集中させて、教皇に注目していたのでした。マードレは、退出してのち受けた印象について姉妹から尋ねられると、ただ教皇の非常な慈愛に対する感動だけを語ったのでした( クロニストリア 2  352-353 参照)。

 

教皇レオ十四世へのわたしたちの祝詞

  感謝の満ちた心を込めて、レオ十四世教皇に彼がキリストの代理者、ローマの司教、神の民の牧者、導き手となることを受け入れてくださったことを感謝しましょう。私たちは教皇様とその聖ペトロの務めに、聖霊の賜物を祈ります。聖霊が彼を照らし、支えてくださいますように。教皇様の最初のメッセージを、私たち一人ひとりに直接語りかけるものとして受け止め、その教導に対して私たちの完全な温順さと忠誠を新たにしましょう。これは、私たちの創立者たちが教えてくださったこと、そして扶助者聖マリアの娘の心が望むことです。「あなたがたに平和がありますように! 愛する兄弟姉妹の皆さん。これが、神の民のためにいのちを与えた、よき牧者である、復活したキリストの最初の挨拶です。わたしもこう望みます。この平和の挨拶が皆さんの心に入りますように。皆さんの家庭に、どこにいたとしてもすべての人に、すべての民族に、すべての地に届きますように。あなたがたに平和があるように。」(教皇レオ十四世の最初の祝福2025年5月8日)

 2025年5月24日にはトリノの大聖堂でお祈りできることを喜び、困難な時代の聖母マリア、教会の母である扶助者聖マリアに、教皇レオ十四世をお委ねします。どうか神と聖母マリアがその助けと慰めとなってくださいますように、今も、いつも!

 私はまた、諸国民間の平和、苦しみと困難の中に生きる私たちの共同体、そして、私たちの特別なカリスマによる慈愛を込めて青少年をマリアにお委ねします。

 扶助者聖マリアの祝日の喜びを、あなた方、ご家族、そして教育共同体の皆さまに申し上げます。どうか主が私たちに恵みをお与えになり、今の時を力強く生き、新たな希望に満ちた未来を見通す能力をお与えくださいますように。

 愛と感謝をこめてご挨拶いたします。

ローマ 2025年5月24日

                                  皆様を愛するマードレ