第5回目の列聖準備の行程では、毎月25日に提案されているこの企画の中で、Sr.マリア・トロンカッティが開拓者たちとシュアル族との間に平和を築くために尽力したことが浮き彫りにされています。

ローマ(イタリア):Sr.マリア・トロンカッティ(1883〜1969年)の列聖に向けて設立された歴史霊性典礼委員会は、この福者の人物像、そのメッセージと現代性をよりよく知るための行程を作成しました。この行程は「母、宣教者、平和と和解を築く人」というスローガンに基づいており、毎月25日に、彼女の帰天の日を記念して、ビデオと深掘りと黙想のためのシートが提案されています。
6月分の第5回目のビデオでは、エクアドルのメンデス使徒座代理区の名誉司教であり、サレジオ会員であるペドロ・ガブリエッリ司教へのインタビューを通して、Sr.マリアが開拓者とシュアル族の間に平和を築くために注いだ努力が浮き彫りにされており、彼女がその和解のために命をささげたことも紹介されています。

1993年、教皇ヨハネ・パウロ二世によってメンデス使徒座代理区の司教に任命されました。その地位においても、彼が最も情熱を傾ける「人々のもとを歩き、訪ね、神の無限の愛を知らせる」という働きを続けました。2006年に辞表を提出し、2008年4月15日に教皇ベネディクト十六世により受理されました。
ガブリエッリ司教は1960年代、Sr.マリア・トロンカッティが、ピオ12世病院で精力的に働いていたころに彼女と知り合いました。彼は彼女の大きな母性の感覚と、すべての人の身体的・霊的健康を守るための献身的な姿勢に感嘆したと語っています。
「当時の人間関係は、残念ながら望ましいものでも、最良のものでもありませんでした」とインタビューの中で彼は述べ、「Sr.トロンカッティは平和を望んでおり、平和、安らぎ、協力のために、彼女は自らのいのちをささげたのだと思います。両民族間に、より大きな調和と平和が訪れるようにと、自分の存在そのものを捧げたのです」と話しています。
1969年7月4日、開拓者の一部によって、おそらく故意に、サレジオ会の家に大きな火が放たれました。すべてが焼失しましたが、幸いにも犠牲者はいませんでした。
Sr.トロンカッティはこの時、どのように反応したのでしょうか。「まるで本当の母親のように対応しました」と名誉司教は振り返ります。「私たちは火事の炎が家中に燃え広がっていたため、身に着けていたものだけで外に出ました。(…)彼女は驚くほどの素早さで行動しました。体がむくみ、体調が悪いにもかかわらず、夜中に走って出かけ、スクアの町にあった唯一の衣料品店を開けてもらって、私たちが夜の寒さから身を守るための服をすぐに買ってくれたのです」。
すべての人に対して平等な愛と配慮を示していたと、ガブリエッリ司教は証言します。「私にとって、Sr.マリア・トロンカッティは本当に祝福そのものでした。彼女は慈しみの人であり、看護師であり、すべての人──開拓者もシュアル族も──の救助者でした。みんなが彼女を頼っていました。ですから、Sr.マリア・トロンカッティへの愛と感謝を表すことは、彼女が築いていた人間関係そのものを大切にすることにほかなりません。Sr.マリアは開拓者を愛し、彼らの幸福、健康、生命を願っていました。同時に、シュアル族も彼女のミッションの中心、彼女の子どもたちとして愛していたのです」。