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Sr.マリア・トロンカッティ すべては宣教のために

Sr.マリア・トロンカッティ すべては宣教のために

 

毎月25日に歴史霊性典礼委員会によって提案される列聖の準備のための行程の第4段階では、
Sr.マリア・トロンカッティの宣教女としての性質が 強調されます。

 ローマ(イタリア):Sr.マリア・トロンカッティ(1883-1969)の列聖を記念して設立された歴史霊性典礼委員会は、「母、宣教女、平和と和解の職人」という スローガンから始まり、聖母マリアの姿、そのメッセージ、そしてその重要性をより深く理解するための行程を作成しました。毎月25日には、Sr.マリア・トロンカッティの天国への誕生(帰天)を記念して、さらなる研究と熟考のためのビデオと資料が提案されています。

 4番目のビデオでは、「イエスのみ心」エクアドル管区のサレジアン・シスターであり、福者Sr.マリア・トロンカッティによって設立されたスクアの聖ドミニコ・サビオ修道院の副院長であり、列聖司牧の責任者であるSr.ロジータ・モリーナへのインタビューを通じて、Sr.マリアの生涯の宣教的側面が深く探究されています。

 Sr.ロジータは、Sr.マリア・トロンカッティの宣教女としての生活の特徴を次のように説明しています。

「彼女は宣教女として神に選ばれたという明確な自覚をもった女性で、自分が神の道具であると感じていたので、自分の手と知恵で癒し、治癒し、できる限りの善行をしました。 彼女は神の女性であり、祈りの女性でした。私たちは彼女が毎日朝4時に起きて教会へ行き、そこで祈りを捧げ、ロザリオを唱え、十字架の道行きを行ってから共同体の祈りに参加するのを見ていました。」

 直感力に優れた女性である彼女にとって、病院に来た人や会いに来た人の目を見るだけで、貧血かどうか、アドバイスやサポートが必要かどうかなど、その人のニーズがわかるのでした。」 出向いていく女性、つまりフランシスコ教皇が私たちに求めていた、

 出向いていく宣教女であり、彼女は時代を先取りしていました。彼女の部屋は通りに面した窓の横にありました。夜中のどのような時間でも、薬が必要な人、死にそうな人、出産できない女性のために家に来てほしい人などがSr.マリアを訪ねてくるのですが、Sr.マリアは、どんな時でも起き上がり、自分の小さなかばんを持ってジャングルへと向かいました。あらゆる危険を伴いながらも、神のみ心に従った偉大な宣教女のように、信じられないほどの愛をもってです。 この資料は、教育共同体、若者たち、地方教会、所属する地域において、Sr.マリア・トロンカッティの人物像についての知識を促進するために、状況に合わせて縮小、拡張、適応できるように提供されています。

 この資料は、シスター・エリアーネ・ペゥトリと、マドーレ・カンタ支部の霊性コースのサレジアン・シスターズのグループによって編集されました。