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2025年4号 特集 カラマール・グアビアーレ 希望を種まくのに理想的な場所

特 集  カラマール・グアビアーレ 希望を種まくのに理想的な場所

Maria Teresa Aguirre, FMA

 カラマール・グアビアーレでの私たちの存在は会の創立150周年、コロンビアでの存続125年の記念、そしてアメリカへの最初の宣教団派遣150年の大きな祝いを準備する3年間のうちに生れた。2002年、ボゴタに本部を置く「キンキラのロザリオの聖母」管区は熱意をこめて派遣の提案に答えた。33名のFMA会員が布教に赴き、福音宣教をすることができる―アマゾン川流域、言い換えると私たちがアマゾンの入り口と呼ぶカラマール・グアビアーレで事業を始めるために。今日私たちが母、宣教女、和解と平和の築き手と呼ぶSr.トロンカッティがエクアドルに到着して図らずも100年に当っている。

 

 33名の派遣可能なシスターたちの中に私たちもいる。私たちの宣教の召命を考慮した時、神の働きによる一致を見て喜ばしく思った。ある会員は次のように言っている。「管区がまだ修道院をつくることを考えていない頃から、私はいつでもアマゾンに行くことを夢見ていました」。別の会員はまだFMAに入る前にSr.マリア・トロンカッティの伝記を読んで、宣教女としての召命の呼びかけを感じたそうだ。3人目のシスターは「従順はいつも私を宣教に取り組む家へと導き、私は幸せでした」と語る。4人目のシスターはラウリタス(無原罪の聖母とシエナの聖カタリナの宣教女会)の宣教の家での初聖体の時から主に召命を願い、そして今や生涯の最後の時に宣教の地に行く恵みを受けたと話してくれた。

 

 カラマール・グアビアーレに到着する

 ペレイラ教区のネルソン・ハイル・カルドナ・ラミレス司教は大きな愛情と希望をこめて、当時の管区長Sr.エディト・フランコの推薦状を携えた私たちを迎えてくださった。「皆さんはいつも大切な聴く姿勢をもっています。ここの土地は多くの苦しみを経て、内面的にも癒されるために聴いてもらう必要があるのです。ここでは福音宣教は大きな痛みを負った沈黙の物語を聴くことを意味しています」。

 私たちは村に行き、オラトリオをつくり、CRC(コロンビア修道者協議会)の支援のもと女性たちのグループをつくり、手芸を教えたり、遊びやお菓子で子どもたちを喜ばせたりすることを始めた。それだけでなく、私たちは家族を訪問し、秘跡の準備のために子どもたちをオラトリオに、大人たちを教会に招いた。私たちはいつも人々から親切に迎え入れられた。彼らは希望の雰囲気を認めたのだ。そして私たちも路上で子どもたちが走り寄って私たちを抱きしめたり、お年寄り が挨拶したりする時、希望を感じるのだ。あるとき、私たちがボゴタに行かなければならなかった時、人々は私たちが公共の乗り物を使うのを見て、「行ってしまうの?私たちを置いて行かないで!」と言った。

 

 

 福音宣教の新たな方法

 カラマールのことをよく知らないで、私たちがここにいることを知っている人は、学校で私たちに会うと、「あそこで何をしているのですか」と尋ねる。福音宣教、人々と共にいること、私たちの家や私たちの中にいることの根本的変化が問題となる。私たちには独特なプログラムがある。耳を傾けながら福音宣教し、福音宣教しながら耳を傾けること。路上で、家の中で、プラットフォームで、お使いをする店で、誰かを訪ねて行く時の救急病院で、私たちのトラック「エル・ブリット・サバネロ」(サバンナの小さいロバ)を持っていく事務所で。教区の奉献生活担当者との「危険に満ちた」旅の時にそう呼ばれるようになった乗り物だ。サバンナの小さいロバは自分では動かなくなり、私たちは共同谷戻るために それを押さなければならなかった。

 家から出る時、修道院長は私たちに「父と子と聖霊」と言う。私たちが出かけるのは、旅する者の親しさを生きるため、ミサに戻らない「羊」を見つけるため―まだ結婚していない羊、若者たちのグループに挨拶し、彼らを招待するため、私たちに持ってきてくれたアレパと贈ってくれた肉、私たちに欠かせない料理用の飲料水のことで人々に感謝するため―その間に私たちは子どもたちと若者たちの実りを夢見る。私たちは彼らが公共の秩序の批判的状況のせいで移動を余儀なくされていることを意識して繰り返し口にする。「今ここで、耳を傾けながら福音宣教し、福音宣教しながら耳を傾けること」。彼らと出会う機会を失ってはいけない。1ヶ月あるいは15日経ってしまったら、もう彼らを見つけられなくなるだろう。女性たちのグループに起こるのは、はじめのうちは仕事場で熱心だが、やがて来なくなる。他の工場で仕事を見つけたからだ。何かがうまく行かず、「去る」方がましだからだ。しかしこうしたことで、私たちは落胆しない。他の女性たちを探して彼女たちと一緒にいる。傾聴の練習をする。必要とされることに向って行く。彼女たちに希望を与え、前進できるように後押しする。

 

 新たな夢

 彼らと話す時、人々が抱いている神の必要性がわかる。すべての地区に彼らの宗教組織の集会所があることがわかった。カラマールに10ヶ所ほどのそういう場所がある。そこから別の夢が生れる。共同体はプエブロ・セコの村に連帯の行進を呼びかけた。そこから8人のメンバーが行方不明になった。一人はプロテスタントの牧師だった。しばらくして、その人々は亡くなったと思われた。 私たちは出会いの場を設け、共に祈ることを呼びかけたが、まだうまく行っていない。これは子どもたちへの布教と難しさだと考えている。子どもたちは数日間オラトリオに来るが、その後もう来なくなる。母親が許さないからだ。

 

 それでも子どもたちとの間に障壁はないと言える。文化の融合を抑えているのは私たち大人だ。カラマールは小さなコロンビアだ。すべての地区、または他の国の出身者がいて、帰属意識に影響を与えている。カラマールの出身者はとても少ない。しかし、私たちはゆっくりだが、一定したプロセスを見て取り、楽観している。現市長はカラマール出身の青年で彼の協働者はここで生れて、すでに専門職についている。私たちはこの希望のしるしを認め、若者たちや子どもたちに違う世界を提供し続ける。グアビアーレから新たな世代が生れているのだ。

 

 社会問題に密着して

 現市長の体制はとても開放的で参加型だ。彼は誰も除外せずに、全員を計画作成のための円卓会議に招いた。私たちも社会問題で参加し、信仰をもつ女性の代表として、女性の市議会諮問機関のメンバーになっている。

 私たちは教育機関、ことに小学校に関わっている。共同体で一番高齢の姉妹は午前と午後のレクリエーションの間、いつも子どもたちと一緒にいる。それだけでなく、一つ一つの教室に入り、わずかな時間をもらって聖母のことを話したり、扶助者聖母の絵を持ち込んだり、サレジオ家族の歌の言葉を教えたりする。ある生徒は喜んでうちに帰ると、母親に「マリア様がぼくの教室に来たんだよ」と話したそうだ。翌日、その母親はあるFMA会員による「ダ・ミヒ・アニマス」のおかげで聖母のことを知ったのだった。シスターには「あなたに彼女を委ねます」が聞き入れられたとわかっている。

 私たちは、いろいろな村でのミサで司祭たちに同行する。いつも司教の薦めを心に留めている。耳を傾けること。シスターたちは人々の名まえを知っていて、彼らの経済や健康の状態をよくわかっている。私たちは人々が親しみをこめて私たちの家にやって来るのを見るのが好きだ。水を少し頼んだり、私たちと会話をしたり、頼みごとをしたりするのだ。彼らは村に住んでいて、大きな町に行くのが不便なので、病院の予約を取るために来ることもある。私たちは他の子どもが窓のガラスを割るのを見たと言いに来る男の子の訴えを聴く。別の子どもは「ぼくたちと遊んでくれるシスター」を探しに来たとドアをノックして、「マリア・アントニアに歯が抜けたと伝えて」と言う。息子が生れそうな婦人が来たが、子どもを受け入れることができない。96歳の男性のことで車椅子の女性が来る。男性は脚に痛みがあるのに、療養センターに行きたがらない。しかし「シスターたちなら、彼のためにきっと何かができるでしょう」。ここに大勢が共同体にやって来て、様々な頼みごとをする。壊れそうな結婚生活についての助言など。

 私たちが住んでいる地域では、先住民たちはラウリタスの共同体に管理されていることを強調しなければならない。川や陸の通り道にいて、人々のためによく働いている。ここカラマールでは、もともとの共同体を出て、生活していくための働き口を探す先住民家族がいる。例えば、「山脈の人々」を意味するエンベラ・チャミ一家は私たちの最初の友人で、私たちと彼らは互いの家を行き来していた。彼らは私たちに子どもたちの誕生、彼らの抱える問題について語り、私たちは彼らを助けられる限りのことをした。1年後、彼らはサン・ホセに引っ越した。その後も私たちの共同体との交流を続け、何か手に入ると持って来てくれる。

 

 「屋根」を探して

 ある時、私たちは子どもたちの世話をするための一定の場所を設ける必要があることを聞いた。私たちはその場所を探したが、見つからなかった。しかし、それで子どもたちと一緒にいることをあきらめはしなかった。イタリア人宣教女Sr.クリスティーナは週に2回、子どもたちを公園に集めて一緒 に遊んでいる。別の日には2人のシスターたちが商業地区の子どもたちを招くために出て行く。学校から出た後、子どもたちは親の働いている店内にいることがわかったからだ。ある教師はそういう子どもたちを集めるための部屋を、借りたい人が出てくるまで使わせてくれた。ヌエバ・エスペランサでは、最初の年私たちはヤシの木の周りで子どもたちと会うことを始めた。それが出発点で、地域の人々はその後「屋根」と呼ぶ場所をしつらえてくれた。

 

 希望の種

 カリスマの種が蒔かれたことを私たちは謙虚に認めている。サレジアニ・コオペラトーリのマードレ・マザレロ支部が発足しつつある。5人の入会志願者がボゴタ支部の指導でオンラインにより最初のサイクルを終えたところだ。

 私たちの小教区への関与はさまざまな理由で有意義だった。カテキスタの養成と配備はESPAC(カテキスタのための小教区学校)のコースで進められ、今年最初のグループが修了資格を取る。典礼の支援と青年グループのアニメーション、喪に服す家族の同伴。5月と10月の家庭内でのロザリオの祈り。

 女性たちのグループは公共政策の事情で不安定だった。それでも私たちはきわめて満足している。2人の女性は教室に通って習ったものを家庭内で作っている。例えば固形や液状の石けん、乾燥させたココヤシの実や様々な種類の石けん、そうしたものをファーマーズマーケットで売るのだ。

 私たちはサン・ホセ・デ・グアビアーレ教区のメンバーだ。年に4、5回司祭たちや奉献生活者たちと省察や養成の集いに参加する。教区内の3修道会のシスターたちと静かなときを分ち合う。昨年の12月まで教区にいた司教の支援のおかげだ。

 最近では青年たちの聖年の行事のさいに、国の中心だけでなく村からも合せて150人の若者たちが参加したことは成功だったと考えている。いくらか僻地で他の宗教の信者が多い、ある村で教育と福音宣教のアニメーションが行われた。公共政策との関係は微妙だが、私たちは熱意と希望を抱いている。私たちはいかなる時にも恐れと不安から使命を放棄しようと考えたことはない。人々は愛情をこめて私たちに言うのだ。私たちの中にいるシスターたちのおかげで今日のカラマールは以前とは違います、と。