巻頭言
サレジオのスタイルで希望へと教育する
世界的な不確実性、急速な社会変革、そして未来を見据える私たちの能力を試す課題に満ちたこの時代において、希望は単なるオプションではなく、不可欠な要素なのです。今日ほど、それを育み、それを生きることを教え、伝えることの緊急性が感じられる時はありません。それは漠然とした感情や慰めの幻想ではなく、個人や共同体の歩みを支える創造的な力です。
希望へと教育するとは、次世代が明日の展望を見失うことなく、現在の価値を認識できるよう同伴することを意味します。人生を即時のチャンスに関する計算に限定するのではなく、そして状況がそれを否定しているように見えても可能性を見出すことを教えることです。それは、恐れや落胆に押しつぶされることなく、信頼して前を見据える内的な強さを育むことを意味します。それは、希望が単なる修辞的な言葉に留まらず、責任と関りへと結びつく具体的な経験となるよう、文化的、霊的、社会的な手段を提供することです。明日は偶然から生まれるのではなく、今日、種を蒔く勇気から生まれるということを信じるよう招くものです。
実に希望とは、現実からの逃避ではなく、現実の深層を見つめ、変化の兆しを読み取り、日々の生活のうちに隠された善の種を摘み取ることのできる視線なのです。それは困難を否定するのではなく、それに立ち向かい、成長の機会へと変えていく態度です。希望を教えるは、障害によって動けなくなることなく、創造性と連帯感をもって対応できる市民を育成することを意味します。
この観点から、サレジオのスタイルは貴重な貢献をしています。ドン ボスコとマードレ マザレロは、希望は言葉だけで伝えられるものではなく、喜びと信頼をもって日常生活の中で証しされるものであることを教えてくれました。彼らにとって、どんなに脆く弱い少年でも、愛情と忍耐をもって浮かび上がらせるべき可能性を秘めている。希望へと教育するということは、つまり、私たちの創立者たちと同じ視線で若者を見つめ、彼らが間違いを恐れることなく大きな夢を抱けるような温かい環境を作り出すことを意味します。サレジオ会的希望は、活動と伝染力と具体性です。欺くのではなく励まし、問題を隠すのではなく、創造力と連帯でそれを乗り越えるよう促します。今日蒔かれた信頼の種は、明日の変化のきらめきとなるという確信です。
したがって、希望へと教育するということは、サレジオ会のカリスマの核心を再発見することであり、若者が自分自身、他者、そして神を信じることができるように助けることを意味します。なぜなら、希望を持つことを知っている人だけが、真に築くことができるからです。そして今日、これまで以上に、未来への希望を心に灯す教育が必要です。希望を本当に確かなものにできるのは、築き上げる人だけだからです。
Maria Ausilia De Siena, FMA