巻頭言
大胆な希望
希望は弱い感情でも、無知な人の避難所でもありません。むしろ、それは勇気の行為であり、困難を目の当たりにしながらも、その先を見据えようと決意した人々の、意図的な選択です。希望は大胆です。それは、理性が躊躇するところでも挑戦し、心を開いて、未知の世界に確信なしに踏み出します。それは夢に逃げ込む人の幻想ではなく、毎日立ち上がり、歩き続ける者の静かな力です。
私たちは複雑な時代に生きています。戦争、気候変動、経済の不確実性、急速な変化、そして落胆させるニュース。未来はしばしば、人々を勇気づけるよりも、恐怖に陥れるものです。諦めてしまうこと、冷ややかに出来るはずがないと傍観する方が楽かもしれません。しかし、まさにここで大胆な希望が役割を果たすのです。困難を認識しながらも、幻滅を拒絶する希望です。それは、たとえその木陰を楽しむことは決してないかもしれないと知りながらも、今日、木を植える人々の希望であり、たとえ結果がすぐには出ないと知りながらも学び、働き、献身する人々の希望であり、あらゆる困難にもかかわらず依然として人類を信じる人々の希望です。
他者が諦めても希望を持ち続ける人、瓦礫の中でも建設を続ける人こそが大胆な人です。緊急事態においても、決して譲らない医師たちのことを考えましょう。不安定な状況にもかかわらず、未来を想像し、計画する若者たちのことを考えましょう。毎日、変化をもたらす小さな親切な行為を積み重ねている普通の人々のことを考えましょう。
そしてわたしたちは、何よりも、毎日教育に情熱を注ぐ人々を想います。彼らは、その成果を他者が収穫するということを知りつつ、若者の心に信頼と知識を植えることを選び、その使命に献身しています。教育する人は希望を抱く。彼らが散漫だったり、怒ったり、迷ったりしているようであっても、現代の若者に希望を抱くことは、革命的な行為である。その種が、いつか芽を出すことを信じることです。
まさに、積極的な市民教育こそが、大胆な希望の最も美しく、かつ緊急の実りの一つです。社会に参加し、共通の利益を大切にし、責任を持って社会に貢献できる若者を育成することです。傍観者ではなく、変化の主体となる存在です。ドン ボスコとマードレ マザレロは、その具体的な証人です。貧困と放置が蔓延する時代にあって、彼らは若者に全てを賭ける勇気を持っていました。限られた資源ながらも揺るぎない信仰をもって、彼らは魂の辺境で希望の火を灯し、その火を「再び燃え上がらせ」ました。
すべての若者が尊厳ある輝かしい未来を内に秘めていると信じ、教育における大胆さは、無謀さではなく、深い愛と預言的なビジョンであり、神から託された使命への具体的な応答でした。
もちろん、無関心が称賛される世界では、希望はしばしば、場違いに思えるかもしれません。しかし、まさにその「狂気」こそが、希望を革命的なものにしているのです。結局のところ、希望は大胆なものです。それは、変化を信じ、人々の秘められた可能性を信じ、小さな光でさえも闇を破ることができることを信じるからです。確かにそれはリスクです。しかし、それは取るに値するリスクです。常に。
Maria Ausilia De Siena. FMA