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亡くなられた姉妹のおもかげ Sr.岩井

シスター 岩井道子 マリア・パウリ―ナ

 

帰天年月日

2024年11月29日

場所

東京都

修道生活

65年間の修道生活

略伝

 東京都杉並区で、父 定紀(さだあき)、母 はな の長女として生まれ、下には弟と二人の妹がいて、子煩悩で優しい父親と気が強くて厳しい人で、整理整頓など基本的なことの躾をされた母親ものとで成長しました。

 高等女学校を卒業した後、洋裁やタイピストの勉強をしながら郵便局などに勤務し、その間に友人に誘われて、光塩女学院のメルセス会のシスターのところに行くようになりました。そこでカトリック要理を学び、シスター方の、世間的ではなく、ただ神様のことに集中する姿を見て、自分もシスターになりたいと強く思い洗礼に至ったようです。1948年10月3日、シスター岩井と二人の妹さんと一緒に洗礼を受けました。ここでサレジオ会のバルバロ神父様と出会い、1952年から3年間、設立されたばかりのドン・ボスコ社に勤務、一緒に働いていた中西純子様の誘いで初めて赤羽のサレジアンシスターズの修道院に行き、「…聖堂でお祈りしておりましたら、『あなたのくる所はここです。』という声がはっきりと心に聴こえてきました。そこで、迷わず本会へ入会する決心をいたしました。」と言っています。

 こうして、1955年4月、25歳で東京 扶助者聖マリア修道院に志願者として入会し、1957年ポストラート、同年8月から2年間修練期を過ごし、1959年8月5日、調布 聖心修道院で初誓願を立てました。

 こうした中で一番心に残ったことは、ポストランテになる時、チマッティ神父様からマンテリーナをいただいたこと、また修練期時代にチマッティ神父様の授業を受けたこと、その聖なる言葉、お姿、教えはサレジアーナとして生きようとする若いシスター岩井の心に深く刻み込まれていきました。

 初誓願後、東京扶助者聖マリア修道院、1971年4月に別府聖心修道院、学校事務、寮生のアシステンテ、支部のエコノマとして40年以上の長きにわたって、事業体の縁の下の力持ちとしての使命を生きました。

 シスター岩井は、何よりも人をとても大切にする方でもありました。特に各事業体の事務室や幼稚園で一緒に働いた方々のこと、そして大切なお二人の妹様方のことは姉としての心をもっていつも思い出し語っていました。

 「私の愛に留まりなさい。」シスター岩井はこの『ヨハネによる福音』15章9節のイエスのことばにすべてを委ねて修道生活を最後まで生き抜きました。