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亡き姉妹のおもかげ Sr.加藤

シスター 加藤昭子マリア・テレジア

帰天年月日

2024年7月24日

場所

東京都

修道生活

55年間の修道生活

略伝

 Sr.加藤は、8人兄弟姉妹の5女で末娘として生まれました。父親は警察官、母は家庭を守り、愛情豊かな家庭で育ちました。Sr.加藤が幼少の頃、警察官であった父親と3人の兄弟姉妹が他界したため、母と姉夫婦とその子どもたちと一緒に生活するようになりました。母親は働き者で、子どもたちの教育に熱心で楽しい思い出を沢山残してくれました。

 高校は青森の明の星高等学校に進学し、そこで友達からの誘いや担任のシスターに魅了されて、カトリックに関心を持つようになり、要理を学び始めました。その後、東京の星美学園短期大学家政学科に入学し、寮生活を始めました。短大でもカトリック要理の勉強を続け、短大1年の時、洗礼を受けました。

 サレジアン・シスターズの召命のきっかけについては次のように書いています。「友だちと星美ホームのボランティアに参加した時から、この子どもたちのために一生を捧げてみたいとの思いが強くなりました。自分の道を考え始めたとき、アシステンテのSr.三原から分厚いドン ボスコ伝を見せていただき、夢中で読み、彼の生き方に強く惹かれました」と。Sr.加藤はこの頃から修道召命の道を真剣に考え、相談し、Sr.プロブストと関わり、快活で親しみのある、単純素朴なシスター方の姿に自分の姿を重ねながら、ここに留まろうと決意しました。

 1969年、初誓願後は、山中雪の聖母修道院で、山中星美ホームの子どもたちのアシステンテや台所補助、その後、1976年東京守護の天使修道院にて星美ホームのアシステンテをしました。併せて15年程、星美ホームの子どもたちのもとでサレジアーナとして懸命に生きました。1985年から東京 聖マリア・マザレロ修道院で学生志願者のアシステンテ、副院長、会計として10年間、養成支部において中学生から短大生までの活発で思春期にある学生志願者たちの同伴者となりました。その後、1995年、調布マンマ・マルゲリータ修道院に異動し院長の使命を委ねられ、サレジオ神学院のサレジオ会員、養成期にある若い会員や神学生たちの家政扶助を母親のような愛情と心を込めて果たしました、この頃、疲労が積み重なり、突然、聴力を失いました。それは、生涯中、Sr.加藤の十字架となりましたが、周囲に重荷を負わせることなく、姉妹たちへの奉仕に励んでいました。
 1998年から再び修学院の院長として6年間、日本管区においてサレジアーナのカリスマを分かち合うことになる若者たちの養成に精魂こめて携わりました。2004年4月、大分聖ヨゼフ修道院に会計と台所補助として派遣されたその年の10月から、院長としての6年間を捧げ、2010年から調布聖ヨセフ修道院の院長として高齢の姉妹と共に生活しました。その後、2016年から2年間、三度目の修学院での志願者のアシステンテとしての従順を受け、2018年から今年3月まで、目黒のマリアの汚れなき聖心修道院の院長として最後まで、誠実に、姉妹ひとり一人が安心して生活できるよう配慮し、霊的な生活について心を尽くし、病をかかえ、心身ともに弱くなっている姉妹がいる時にはそれを理解して励ましながら、聖母マリアの母性的な姿を生き抜かれました。

 今年の3月、目黒修道院から山中修道院に異動するはずだったSr.加藤は思いがけず治療困難な癌の診断を受け、闘病生活に入りました。すでに病状が進んでおり、医師たちの賢明な治療にもかかわらず、奇跡が起こらない限り回復は無理であるとの診断をうけ、日に日に衰弱していきました。

 闘病中、体の不調に苦しむようになりましたが、一言もつぶやかず、常にお見舞いに訪れる人たちに感謝を示し、「神様が呼ばれるなら神様のところに行きます。もし再び健康の恵みをいただけるなら、姉妹に奉仕をしたいです。病苦を捧げて生きること、これが今の私の使命だと思います」と言っていました。