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亡き姉妹のおもかげ Sr.山下

シスター 山下ユキヱ カタリーナ

帰天年月日

2023年9月1日

場所

東京都

修道生活

63年間の修道生活

略伝

Sr.山下は、兄弟姉妹の長女として生まれ、3日目に洗礼を受けました。父親は半農半漁で生計を立て、母親は家事をしながら、農作業に従事し、信仰篤く子どもたちを育てました。
Sr.山下は村の学校に通いながら両親を助け、家庭で勤勉に働き、自然を愛し、そこから生きることを学んだと思われます。

FMAのシスターたちが家庭訪問に訪れ、父親はチマッティ神父様にお世話になった主任神父さまと話し合い、扶助者聖母会のある別府に行くことになったことを、神様の計らいだったと振り返っています。そのシスターたちの明るく晴れやかな姿や立ち振る舞いに惹かれ、そのようなシスターになりたいとの決意を固めました。
そして1956年4月10日、両親の許可のもとに、別府聖マリア・マザレロ修道院に入会し志願期を始め、1958年1月31日にポストラート、同年8月6日、調布聖心修道院で修練期を開始し1960年8日6日 初誓願を立てました。  

立願後すぐに、大分聖ヨゼフ修道院の小百合愛児園の子どもたちのアシステンテと洗濯、1966年 大阪聖ヨハネ・ボスコ修道院に衣類係、再び1970年 大分聖ヨゼフ修道院でアシステンテ、1973年 管区本部の東京扶助者聖マリア修道院の洗濯係としての使命が委ねられ、1981年、静岡聖心修道院星美ホームのアシステンテ、1992年に管区本部で再度、洗濯場の使命をはたしました。

どんなに仕事が忙しくても、愛をもって仕事をきちんと丁寧に果たし、自然界に対しても、特別な感受性を抱き、洗濯場の前の土地を利用して野菜を育て、皆を喜ばせていました。Sr.山下は、苦労をいとわず、小さい頃から養ってきた祈りと働きの一致のなかで喜びのうちに使命を果たしました。

2020年3月最後の家となる調布聖ヨセフ修道院で療養の日々を送りました。

不自由な生活を強いられるなかで、ストレンナの「何事も愛のために行おう」という言葉を心に留め、しばしば思い起こしながら、それに生きていました。

今年に入り、体調不良を訴え、病院での検査の結果、清瀬のベトレヘムの園病院で手厚い看護を受けていましたが、容態が急変し9月1日午前1時36分、駆けつけた管区長や院長に見守られ、主の十字架の愛にすべてを委ねるように89年の生涯、63年の奉献生活を全うし最愛のおん父のみ許に召されました。日々、祈りのうちに、青少年の救いのために自分の使命を捧げサレジアーナとしての使命を全うしました。

「祈りの人」としての姿が、共に生活した姉妹たちの脳裏に焼きつけられています。

Sr.山下が「好きな聖書のことば」として、「栄光から栄光へと、主と同じ姿に造り変えられていきます」という箇所をあげていますが、まさに今、Sr.山下は主の栄光のうちに入られたと思います。