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亡き姉妹のおもかげ Sr. 関口

シスター 関口よし江 カタリナ

帰天年月日

2022年8月13日

場所

東京都

修道生活

66年間の修道生活

略伝

Sr.関口は、1932年1月13日、6人兄弟姉妹の次女として生まれ大切に育てられました。少女期の頃は戦争のためそれまでの穏やかな生活は一変して不自由な生活を強いられ、東京大空襲によって一家はすべてを失いまいましたが、両親は家族のために穏やかに明るく必要なことを配慮していました。中学生の時、近所の友人に誘われて教会に通うようになり、サレジオ会の宣教師を通してイエス様との出会いに導かれ、16歳のクリスマスに洗礼を受けました。「サレジオ会の教会は私のオアシスでした」と書いています。その頃、すでにシスターになりたいという望みをもっていたようですが、ある日、サレジオ会のロッシ神父様に導かれて赤羽の星美ホームに行ったとき、戦争によって親を失った子どもたちの様子、そこで生き生きと働くシスターたちの姿を見ながら、「わたしも、シスターたちのようにこの子どもたちのために働きたい」という思いが芽生え、修道生活への望みが強くなりました。はじめ、両親は強く反対しましたが、娘の幸せを願い、修道生活への道を許しました。1951年4月、志願者として東京扶助者聖マリア修道院に入会しました。

 立願後、開設したばかりの調布星美幼稚園に勤務し、翌年、赤羽に移動し星美ホームの子どもたちのアシステンテを勤め、その間、保育士と幼稚園教諭の免許を取得しました。1964年、調布扶助者聖マリア修道院で、調布星美幼稚園の主任をし、1973年からは、幼稚園長としての責務を遂行しました。1980年には再び赤羽で星美学園幼稚園の園長としての使命を果たしました。1989年目黒修道院へ異動し、目黒サレジオ幼稚園主任・評議員。1990年からは支部の副院長も勤めました。1993年から1996年まで大分聖ヨゼフ修道院に異動し、大分明星幼稚園の会計係として働き、1998年には東京聖マリア・マザレロ修道院に異動し、評議員、受付の務めを果たしました。1998年以降は幼稚園の現場を退き、東京聖マリア・マザレロ修道院に異動し受付の奉仕を行い、2003年、目黒修道院の院長として赴任し、サレジアニ・コオペラトリのデレガータも勤めました。

 2006年、調布聖ヨセフ修道院に移りましたが、次第に身体の不調が目立ち、静養しながら幼稚園のお母さま方や先生方のカテキズモをしていました。2011年からは療養生活に入りました。時間のある限り小物つくりに精を出し、幼稚園の先生方や園児たちに明るく声をかけ、親しい関わりを持っていました。先生方もSr.関口のことをとても信頼し慕っていたようです。通院や入退院のため外部との接触は少なくなっていきましたが、Sr.関口を慕う方々がしばしば修道院に訪ねてこられ、とても大きな喜びをお互いに表していましたが、多くの病によって、様々な面で離脱を余儀なくされていきました。

 2020年7月からは入院生活を送ることとなり、静かに生活しておられましたが、時折、修道院への思いが強くなることがあったようです。8月13日、聖母被昇天の祭日の三日間にあたるその日、主はSr.関口を天にみ国にお召しになりました。