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亡き姉妹のおもかげ Sr.コスタ

シスター  コスタ・マリア

帰天年月日

2022年1月6日

場所

東京都

修道生活

68年間の修道生活

略伝

南イタリアのコリリヤーノで、父フランチェスコと母ニコリーナの両親のもとに生まれ、5人兄弟のうち唯一の女の子でした。

小さいころから料理が好きだったので、イタリアの家政科の学校で料理の資格も取得しました。

「20歳頃に本当に愛してくれる人は、イエス以外にいないと分かり、サレジアンシスターズのところに行きました。
また、わたしの家族は、パードレ ピオが「いい」と言えば入会を許可すると言うので、彼のところに行きました。
パードレ ピオはすべてを見通し、すぐに修道生活を選ぶようにとの強い勧めを頂きました」と。
1950年ナポリのサレジアン・シスターズに入会し、その時お会いしたのが、当時ナポリ管区の管区長で、
後の日本管区視察担当総評議員マードレ エルバ・ボノーミでした。
1953年8月6日、初誓願をたて、その後、宣教女になる準備をトリノで開始しました。
続いてイギリスで1年間英語の勉強をし、1955年、11月7日、宣教女としての第一歩を当時、管区本部があった赤羽の扶助者聖マリア修道院で始めました。
日本語の勉強をしながら、高等学校で英語とイタリア語を教え、できたばかりの星美学園短期大学の寮生のアシステンテやイタリア語の講師を勤めました。
その若さと信仰、使徒的な活動力によって、多くの若い女性を洗礼に導き、また修道生活へと導きました。
また、短期大学の公開講座で「イタリア料理」を35年間務めました。

1978年、サレジオ協力者会のデレガータを務め、日本管区におけるサレジアニコオペラトリの礎を築き、
VIDES Japan の発足当時から強力にこれを支援し、2006年から、山中支部で、富士吉田教会の司牧に携わり、
イタリア語講座を開いたり、ダルク(DARC)の人たちと関わりを持ち、彼らを良く理解し、霊的・精神的援助を惜しみなく与え、生きる希望を持たせていました。

「並みの人ではなく、特別なカリスマを授かった人」と言われたSr.コスタは、美しい声で神を賛美し、芸術的センスもすばらしく、イタリア料理の腕も抜群でした。
主のためにすべてをフルに活用し、捧げつくして、おん父のもとに帰られました。日本宣教生活66年間でした。