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亡き姉妹のおもかげ Sr.山口

Sr.山口 多香子 テレジア

帰天年月日

2020年1月14日

場所

東京都

修道生活

55年間の修道生活

略伝

Sr.山口多香子 テレジアは、1932年7月18日東京豊島区に、7人兄弟姉妹の5女として誕生し、会社員の父と専業主婦の母のもとで愛情深く育てられました。

太平洋戦争中、小学生だった多香子は、家族を離れて学童疎開をしましたが、終戦後、再び家族が一緒に暮らすことができるようになり、下井草教会のマンテガッツア神父様より要理を学び、1948年の無原罪の聖マリアの祭日に家族全員で洗礼を受けるという大きな恵みに浴しました。

また、画才に恵まれ、日本美術二科展(にかてん)、国立(こくりつ)日展(にってん)に油絵や染色織物で入選しています。

マンッテガッツア、スピース両神父様導きのもと、1959年に本会に入会し、1964年に誓願を立てて後は、養護施設、星美学園中学校、大阪城星学園中学校、目黒星美学園中学校の宗教・社会科の教諭として働きました。

 1990年には、前々から要請のあったボリビア国への宣教女として選出され、Sr.漢那和子と共に、日本からの移住者たちの村、サン・ファンとオキナワ移住地で活動しました。ボリビアからの漫画通信は、ボリビアへの関心を高めてくれました。

1996年に日本に戻ると“VIDES大阪”のデレガータを務め、2002年に再びボリビアに赴いて懐かしい人々の間で3年間働きました。帰国後は調布聖ヨゼフ修道院で、滞日日系ボリビア人たちを物心両面で支援しました。 

2012年からは、赤羽で高校3年生と星美ホームの男子たちへの要理教育に携わりました。

 たくさんの姉妹たちの心に刻まれたSr.山口の共通の思い出は、苦しんでいる人、貧しい人のためには労を厭わない人だったということです。

 亡くなる約半年前、歩行が困難になったため入院治療し、さらに保健施設でリハビリに励んでいましたが、1月14日朝、急に腹部に激痛を感じ、検査の結果、進行胃ガンと診断されました。Sr.山口は落ち着いてこの状況を受け止め、院長や駆けつけた家族とも楽しく会話し、元気な様子でしたが、その後容態が急変し、進行胃ガンによる多臓器不全のため、静かに神のみもとに旅立ちました。