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一つの微笑み… 奇跡の花を咲かせる

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2016.7.7 グラナダ(スペイン)

 7月7日に、福者マリア・ロメロ・メネセスの記念祝典が行われました。スオル・マリアは40もの噴火山のある生まれ故郷のニカラグアのような、情熱に燃える魂の持ち主でした。(父親は財務大臣を務めた)裕福な家庭に生まれた彼女は、み摂理に全面的に信頼して、貧しい人たちの中でも最も貧しい人びとのために、おのが身を際限なくささげた女性でした。

 エマオの弟子たちのように、スオル・ロメロは教会の中に主が真に生きておいでになることを認めることができました。そして、困難と恐れに打ち勝つことによって、この世において熱烈で勇気に満ちた証し人になりました。1977年7月7日に心筋梗塞で亡くなりました。コスタリカの政府は彼女を国家の名誉市民の称号を贈りました。その柩はコスタリカのサン・ホセ市の、社会に貢献した処女の家として建てられた墓所に安置されています。教皇ヨハネ・パウロ2世は2002年4月14日に彼女を列福されました。

 彼女は中部アメリカで“福者”となった最初の女性です。典礼の記念日は7月7日、彼女が天国に誕生された日に祝われます。 彼女の霊性と宣教使命について省察するために、その使徒的生涯のいくつかの思い出を振り返りましょう。

 

母国としてのオラトリオ

29歳の時、従順によって彼女はコスタリカのサン・ホセに、音楽と美術の教師として、よい家庭の少女たちの学ぶ学園に派遣され、そこにあるオラトリオのアシステンテもしました。このオラトリオには、都市の周辺部の疎外された貧しい家庭の、仕事もなく将来の希望もない少女たちが来ていました。スオル・マリアはこれらの貧しい少女たちと、辺境地のバラックにひしめいている、その家庭をまだ知りませんでした。これから48年後に死ぬまで、ここが彼女の新しい母国となるであろうとは夢にも思いませんでした。

 コスタリカは中部アメリカの最も小さい共和国でした:当時、面積はシチリア島の2倍で、住民は150万人(ミラノの人口より少数)でした。政府は民主主義ですが、貧者と失業者が大勢いました。

 スオル・マリアは自分の生徒たちの中から、カテキスタ(カトリック要理の教師)のグループをつくり、彼女たちを辺境地に送り、望む人にカテキズムを教えさせましたが、彼女たちは少しがっかりして帰って来ました。「マードレ、みんな、あばら家に住んでいます、トタン屋根、ボール紙の壁、床は土間です。家族はたった一間だけの部屋に子供たちも犬も一緒にごろごろしています。仕事もなく、着るものもなく、食べ物もありません。わたしたちはイエスさまについて話しました。わたしたちの話をじっと聞いてくれましたけど、感動してくれません。一人のお母さんが言いました。『イエスさまはいいですね。でも、わたしらの子供たちのために、だれがミルクをくれるでしょうか』って」。

 スオル・マリアはカテキスタたちと長い時間、話し合い、食糧や衣類を集めました。1939年のクリスマスの日に、彼女たちと一緒に“小さな宣教”を始めました。「一緒にあの人たちの家に行きましょう。お掃除をし、整頓を手伝いましょう。着る物とミルクをもっていけば、皆はわたしたちのことを思い出してくれるでしょう。でも、最初はイエスさまなしで行きましょう。先に一番貧しい兄弟たちのところに行きましょう」。

 

驚きと緊急事態

カテキスタたちは二人ずつ組を作って、スラム街に食べ物と微笑みをもって行き、お母さんたちにクリスマスのお祝いに、家の中のお掃除をするのを手助けし、子供たちに体をよく洗うのを手伝い、病人たちには、わら布団を整えてあげました。その後、みなと一緒にお祈りしました。この日から、カテキスタたちはスオル・マリアのもとに帰ってくると、驚いたことを報告し、緊急にまた援助することを申し出ました。スオル・マリアは学園で音楽と美術を続けて教えながら、毎晩と土曜日と日曜日に“彼女の小さい宣教者たちと共に、新しい援助の方法を具体化するのでした。最初は「貧しい人たちの部屋」というのを始めました。寮生たちの家庭から衣服や食糧をもらって、いくつもの包みを作り、「反省とお祈りの時間」を過ごします。

その後、スオル・マリアはスラム街と辺境の村に休日のオラトリオを開きました。学園の生徒たちと、オラトリオの年長の少女たちに話しました。司教様と上長の祝福を戴いて、いよいよ最初の年には、8か所でオラトリオを始めました。その後、14か所に増えて、ついに36か所になります…

小さい宣教女団とスオル・マリアを乗せたバスが日曜日になると、最初はここに、次はあそこのオラトリオに、というように、運んでくれます。

オラトリオには大勢の少女たちが集まり、いろいろ難しい問題も起こります。カテキズムや、福祉の行いもいつもしなければなりません。スオル・マリアにとって段ボールの箱と金庫はけっしてカラッポになることはありません。助けの必要な人たちは大勢やってきます。同様に大勢の人が献金を持ってきてくれます。陰口を言う人々も大勢いて、それに驚いた院長さまは、スオル・マリアにオラトリオのために援助を求めて方々をめぐることはしないようにとおっしゃいます。スオル・マリアはおだやかに従順します。すると、献金はだれにも願わないのに、続けて届いてきます。

 

蛇口の聖水

 1955年に、辺境に住んでいる約100家族が規則的に食料や衣服の援助を受けていました。パンとカテキズムの勉強を受けているオラトリオの子供たちはおよそ5,000人います。しかし、病人たちは? 医師も、薬もない貧しい病人たちのためにどうするのでしょうか。スオル・マリアは大きな無料診療所を夢見ています。しかし、どうすればできるでしょうか。そこで聖母に打ち明けました。いつもの深い信頼の心をもって願います、「あなたはルルドで、いやしの水が湧き出るようになさいました。なぜルルドのために特別になさったのですか。わたしたちはルルドに遠く離れていて、その水を利用できません。けれども、世界の水は全部あなたのもの、この蛇口から出る水もあなたのものでございます。あなたは世界の女王でいらっしゃいますから。

 ですから、わたしにこのお恵みをくださいませ。ここから出る水で、病人たちをいやしてくださいませ。信仰をもって始めます。宣教者でカテキスタのレオナルドが発熱し、咳とのどの痛みで病床にいます。彼なしにオラトリオは開かれません。彼の姉を呼びに行かせます。熱で身を震わせている彼を見たとき、コップを手にして、水道の蛇口を開けて言いました。「レオナルド、信仰をもって飲みなさい。あさって、あなたはオラトリオに来てください」。「しかし、ぼくはインフルエンザです」。「見ましょう、見ましょう」。夕方、レオナルドはなおって、日曜日にはオラトリオを導きました。スオル・マリアは聖母に感謝し、その後も、ルルドの水と同じように、水道の蛇口をひねって出た水を用い続けています。ある同窓生の母親は82歳のとき、咽喉癌で重態になったとき、聖母のお水を口にスプーンで数滴流していただき、癌は消えて治癒しました。一人の男の子は車に轢かれて頭の骨が折れて瀕死の状態になりました。母親はスオル・マリアのもとに駆けつけて、蛇口から出る水を瓶に入れてもらって帰りました。額にその水を注いだ瞬間に子供は目を開けました。3日後に、話をすることができるようになり、8日後に、全治しました。(今は大学を卒業して、母親のリディアは蛇口から出た水の瓶を見せながら、その話を語り続けています)。

 これらの出来事は増加していき、貧しい人々は「聖母のお水」をいただくために、走ってきます。ある日、スオル・マリアは学校で教えているとき、窓の外を眺めながら言いました、「この土地は数年後には、大きな建物ができて、貧しい人々の家と呼ばれるでしょう。無料診療所もできるでしょう。そこには、貧しい人々が食糧と仕事を得て、身寄りがなく家もない大勢の孤児たちのための避難所になるでしょう。そしてイエスさまとマリアさまにささげられた小聖堂も置かれるでしょう」。

 

慰めるための一部屋

 この家の建築は、正確に1958年に始まりました。神様のすべてのみわざと同様に、妨げや悪意、延期と変更がありました。しかし、スオル・マリアが学校で教えていた時に窓から眺めた通りの機能を備えた、立派な美しい建物ができあがりました。少しずつ、(ドン・ボスコの生涯にも見られたように)、貧しく失望した人々がスオル・マリアと話すために、彼女を探し求めて訪れるようになりました。スオル・マリアは長話をしませんが、人々は問題を打ち明け、勧めを願い、自分の苦しみを晴らすために、やってくるようになりました。神様は彼女の優しいまなざしと、微笑みと、祈りを通しておいでになります。悩んでいる人々、信仰を持たない人々、アルコールや麻薬におぼれ、絶望した家族は平和と信仰を再び見いだします。

 マリア・ルツ・クベーロはある日、仲間と共に働きながら、畑でばらの木に水をかけているスオル・マリアを見て、花に向かって言いました。「あなたたちはとても美しいばらね。でもあなたたちを世話する人の手はもっと美しくて、もっと奇跡をなさるのよ」。マリア・ルツとその友だちはこう言いながら、風も吹いていないのに、スオル・マリアの顔のほうに、バラの花がおじぎをするのを見ました。

しかし、一人のシスターの顔にただ一度おじぎするバラの花について、奇跡と言えるでしょうか。

48年間も貧しく元気のない子供たちの顔を愛撫し、貧しい人たちのために食物と衣類を箱に詰めて準備した一人のシスターの手と、失望している人たちに希望と安らぎを与えるために、毎日何時間も慰めの言葉をかけた唇は、ばらの花よりも美しいのではありませんか。一人のシスターの生涯は、兄弟たちと、姉妹たち、そして神様のため、愛のために日毎にささげ尽くした一人のシスターの生涯は、限りなく大きな奇跡なのです。 

 

参考サイト  Un sorriso� e fiorirono miracoli