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平和の叫び

平和の叫び

アンドレア・リッカルディ

 平和の叫びは戦争によって苦しみ、その終結を願う大勢の祈りである。国際的世論のせいで、抑えつけられる叫び、戦闘中の国に住む人々と平和な国に住む人々との間の深い距離で消されてしまう叫び。地理上のものではなく、人間的条件のために埋めることのできない距離。別な所で全く異なる状況のうちに暮らしているなら、戦争の痛みを掴むのは易しいことではない。それでもやはり、戦争は多数で、そのために苦しんでいる人々は数え切れない。私たちの注意を上回っている。

(アンドレア・リッカルディ『平和の叫び』2023年サン・パオロ編)

 

遠い平和

      平和は危ういことに未来の地平線から遠ざかってしまった。平和は多くの国々で消えた。2年前ロシアに攻撃されたウクライナ。昨年10月7日のハマスの恐ろしい攻撃とそれに対するイスラエルの反撃があった聖地。戦争によって二つに割かれたスーダンにもはや平和はない。シリアの状況は劇的である。国際的な地平線からいかにして平和が消えてしまったかを思い起すために、いくらでも例を挙げ続けられるだろう。今では戦争のことしか語られない。ヨーロッパでは、ロシアの侵略が恐れられている。ロシアの領土拡張政策によるものだ。兵器に投資され、軍事産業が総売上高を増大させている。戦争と新たな衝突の危険について話す。それをしてはいけないのか。戦争に驚くべきではないのか。私はこのことを肯定しない。歴史の中にあって、現実主義は必要だ。私たちは皆私たちの時代の歴史の中に生きている。残念ながら、その歴史はあるときには、私たちを打ちのめす。

 だが、私たちの地平線から平和を取り去ったのは現実主義ではない。責任は戦争をする人、戦争の主にあると言えるかもしれない。実際に、世界の多くのシナリオでまさに戦争の主たる人々を目にする。アフリカでも、イスラム教徒によるテロが国全体を襲い、罪のない人々が倒されている。しかし戦争をしたいと思い、実際に行う人々に対してテロ活動でやり返すことはできるのだろうか。抵抗しなければならないのだ。ウクライナの人々は勇敢にそれを行った。

 平和を求める人々の声にも耳を傾けなければならない。近年、戦争は歴史の本来の道連れだという考えが取り入れられるようになってきた。一方で平和のない人々による問いかけがある。平和についての多くの質問に耳を傾けるべきだ。ヨハネ23世の『地上の平和』に匹敵する平和の教則本『兄弟の皆さん』で教皇フランシスコは語りかける。

「どの戦争も必ず、世界を、かつての姿よりもいっそう劣化させます。戦争は、政治の失敗、人間性の欠如であり、悪しき勢力に対するは恥ずべき降伏、敗北なのです」(261)。

政治の失敗(交渉や外交活動ではなく兵器に全権を与えてしまった)と人類の失敗として戦争を捉える印象的な定義がある。つまりは悪の力への降伏である。認めるべきことに、戦争は悪の権化だからである。中世の教皇ニコラス1世は言った。「戦争は悪魔によるものだ」と。

 

■戦争に苦しむ人々に近づく

 『兄弟の皆さん』に戻ろう。教皇フランシスコは平和を求める人々の声に耳を傾けるように誘う。一つの道を提案する。広い意味で、戦争で「傷ついた人々」に近づく道である。教皇は書いている。「理屈をこねるのはやめて、傷に触れ、犠牲者のからだに触れようではありませんか。『巻き添え被害』で殺戮された無数の民間人を、しっかり見つめようではありませんか」(261)。

 教皇は戦争の犠牲者と個人的に接すること、難民に尋ねること、個人・グループ・民族の歴史についてゆくように招く。残念ながら、多くの画像や情報は無関心と言わなくとも、私たちを戦火にある人々の痛みに慣らさせてしまう。スターリンが言ったとされる言葉は戦争の痛みについてのあまりに多くの情報に対する反応をよく説明している。「一人の死は悲劇である。数100万人の死は統計である」。

 教皇は続ける。平和について語る人はしばしば純情で非現実的、空想家として扱われる。あるいはさらに悪く、衝突にある所の一方と結びついている、間違っている人と正しい人の間を巧みにすり抜ける人と捉えられる。だが、時として、平和について話し、それが唯一の通り抜けられる道だと断言する人は空想家とみなされる。平和についての話は余地がほとんどないと悲劇的に閉じられるかもしれない。それが現実なのだと言われるかもしれない。それでは、平和を求める声は戦争の論理で抑えつけられているのか。私たちの世界で何が起きたのか。

 痛みを伴う第二次世界大戦の記憶は消えてしまった。あの戦争を生き抜いた世代はほぼいなくなった。あの恐ろしい争いは6千万人から6800万人(正確な数字は不明だが、非常に劇的だ)の死者を出した。ある国々は信じがたい金額を払った。ソビエト連邦は戦争で人口のほぼ15パーセント、2500万人を失った。小さなシンガポールは住民のほぼ29パーセントをなくした。ドイツ人のほぼ10パーセント、ギリシャ人の11パーセント以上、ポーランド人の16パーセントが亡くなった。続いていくのだろう―真の大量殺人が。

 ホロコースト〔ユダヤ人大虐殺〕の証人、第二次世界大戦の真っ只中に起きたナチスによるヘブライ人の大量殺人を世界に思い出させた人々は亡くなってしまった。確かに、戦争中のドイツの孤立はそれを容易にしてしまった。だが、オスマン帝国領土内で1915年から始まった20世紀最初の大量殺戮、アルメニア人とキリスト教徒の大虐殺はまさに第一次世界大戦の最中交戦国で起きた。このことを認識することは、過去と現在の戦争の現実に近づくことを意味する。

 

■グローバル化されたが、統一されてはいない世界

 戦争の恐怖から、冷戦中ではあったが、1989年以降戦争を好まない世界と機能的な国際共同体を準備するような平和議論が行われるようになった。しかし、そういう世界は建てられなかった。レバノン出身の知識人アミン・マアルーフは記した。「後知恵により、冷戦の終結にアメリカ合衆国が利益を得た『恵みの時期』は新たな国際システムのために役立てられるべきだったことは明らかである。そこでは……国際的な舞台のすべての役者たちはそれぞれの役割を持っているはずだった。……経験的にアメリカのせいにするのはたやすい。知らない水の中でコンパスなしに航海しなければならなかったのだ」。

 国連の縮小した役割からもわかるように、国際共同体は危機に陥った。国境や対立、衝突を越えて運命を一つにしようとしていた20世紀から受け継がれた文化の遺産はむしろ消えつつある。地中海の対話を打ち立てたジョルジョ・ラ・ピーラは「連結した緊張」と名付けた―平和に対する緊張、エキュメニズム、最も貧しい世界に対する責任、惑星規模の正義のための協力、出会いと問題解決の道具としての対話。

 今日の危機はまさに世界がグローバリゼーションのプロセスで「統合された」ときに起った。地球の危機が議論の余地のない明らかな証拠で、私たちが一つの運命にあることを示した。コロナウィルス感染爆発の重大な危機に教皇フランシスコは「私たちは皆同じ船に乗っている」と述べた。「同じ船上の全人類」。明らかな真理だが、幾度も忘れられてしまう。それでも決して軽んじられてはならない真理だ。2015年パリのコーシャ(訳注:ユダヤ教徒のための食品)のスーパーマーケット内でテロ事件が起きた。16人のイスラム教徒がユダヤ人とその他の国の市民を殺害したのだ。その時の目撃者でテロの被害者を救出したマリ人のラッサナ・バティリは語っている。「はい、私はユダヤ人を助けました。私たちは皆、兄弟です。ユダヤ人だとか、キリスト教徒だとか、イスラム教徒だとかは問題ではありません。私たちは皆、同じ船に乗っているのです」。

 マリの移民からローマの教皇まで、人類に共通の運命についての意識は様々な世界に行き渡っている。この意識には、想像を変えるための手立てがある。疲れてあきらめてしまった思考、戦争の論理に支配された思考に対して、平和のビジョンを描くのだ。取って代えられる想像がなければ、私たちは他者の率先した取り組み、横暴な行為、攻撃性を甘んじて受けることしかできない、希望のない囚人に留まってしまう。他のことを想像しないで我慢したり、反抗したりすることは私たちを攻撃者や暴力の論理の囚人にする。平和についてのすべての見通しや想像を失ったので、闘うのだ。

 

■手段としての戦争

 政治的議論のような実践において、政治的衝突を解決するための戦争の手段はもはや復権された。誰もがわかるとおりだ。2023年、ナゴルノ・カラバフのアルメニアの小さな自治州はアゼルバイジャンの軍隊によって占領された。その地域のアルメニア人の居住は1000年以上も前から独立を宣言していた。軍の占領により、10万人ものアルメニア人がその祖先の国を捨てて亡命した。対話が先送りされ、力と闘いが衝突の解決手段として取られてしまった。1944年ピオ12世は第二次世界大戦の終結にあたり、こう語った。「国際間の衝突を解決するための正当で適切な手段としての戦争の理論はもはや時代遅れである」。しかし実際には戦争の理論だけでなく、戦争の実践も消えてはいない。

 ここ数年私は何度も現代の戦争は意のままになる軍備能力によって、つねになくなることがなくなってしまったと述べてきた。それに代わる方策を考え出せないことも一因である。エドガル・モランは101歳の豊かな経験から語っている。「戦争が一層悪化すれば、平和は一層難しく、緊急のものとなる」。

 過去の痛ましい戦争の記憶のうちに、私たちは平和のビジョンのための要素とエネルギーを見出す。希望は現在を拒否することで始まる。イタリア共和国大統領セルジョ・マッタレッラは2022年アッシジで語った。「私たちは戦争の理論には屈しません。それは人々の理性と暮らしをすり減らし、多くの死と破壊を増やして、人々を耐え難い状況に押しやります。世界をより貧しくし、破滅に向わせるのです」。

 戦争は日々劇的に大勢の人々のいのちを消し去る。だが一方で、理性をも食い尽くす。国家間の政治と関係にとって、かくも必要な理性を、だ。国際的共同体と国家間の関係システムは崩壊しそうになっても対話、決定、その反応の合理性を求めてきた。だが、今日ではその領域は感情によって強く支配されている。感情による政治がそこにある。感情のレベルで対話することは難しい。対話は論理性を要求するからだ。対話が減れば、対立が一層大きくなる。戦争が唯一の政治的手段に見えてしまう。

 せめて一部ではこの意見が共有されることを私は願う。こうした考えは民主的なシステムでは共有されている気がする。そこでは人々は統治者の平和に好意的である。ウクライナに対する戦争とプーチンへの同意が強力なロシアでは起きないことだ。真の問いは私たち、普通の人々に投げかけられる。私たちより、私たちの国々より、強力な戦争の決定に対して私たちは何ができるだろう。私たちは無力であることに気づく。無力さは無関心をうむ。何もできないなら、どうして興味を持ったり、入り込んだりできるだろう。

 

■私たちは戦争に向き合って何ができるだろう

 実際に戦争の結果の一つは大多数を無気力の状態に投げ込むことだ。普通の人間である私たちは皆、多くの人々の苦しみ、私たちや私たちの子どもたちの未来に対して無関心ではいられない。それでも、21世紀の初頭に力のあった平和主義者の運動は今や縮小し、人々を動かすことはできないようだ。それはまたグローバルな世界の根本的変化の結果である。「私」の次元が「私たち」の次元より優先される。人間の集まりの多くが危機にある。家族から政党、労働組合、宗教的共同体までもが……

 だが、キリスト教徒は戦争に向き合って、無関心ではいられない。教会においては恐ろしい戦争のあった20世紀の間、そして私たちの世紀に平和の価値についての意識が培われた。ベネディクト15世からフランシスコまですべての教皇の教えは平和の予言である。実際にキリスト教徒はつねに平和に呼ばれ、平和を築くように招かれていると感じてきた。アレキサンドリアのクレメンテはキリスト教徒のことをエイレニコン・ゲノス、平和を愛する調停者、平和の民と言った。世界の人々の中でカトリック教会はすべての国にあり、人類の共通善のしもべ、教皇の下に置かれているが、エイレニコン・ゲノス、平和の職人の民と呼ばれている。

 私たちは自分たちから遠い問題に関わることで平和の職人になれる。グローバルなコミュニケーションでやりやすくなっている。たとえ、状況が理解するには複雑で、戦争は決してゲームやサッカーの試合とは同じではないにせよ。もし、私が誰かの未来に興味があるなら、その人について詳しく調べる。知ること、情報を得ること、着いて行くことは、他の所から向きを変えるのではなく、近づいて関わることだ。活力のある世論は出来事や政治の決断に影響を与える。注意力の散漫は戦争の主たちの浅慮な決定を好む。戦争で傷ついた人々との連帯と難民を迎え入れることは戦争に対する闘いだ。

 そして平和のために祈りがある。聖書と民族の地図を手に、ジョルジョ・ラ・ピーラは語った。「私は祈りの歴史的力を信じています」。彼はバディア・フィオレンティーナに集めた貧しい人々にも平和のために祈るように呼びかけた。教会の中で私たちはさらに平和のために祈るべきだろう。国々の名まえは手の間でロザリオの珠のように通り過ぎてゆくに違いない。プロテスタントの神学者カール・バルトは書いている。神は「聾者ではない。聴いて行動する。私たちが祈るか祈らないかで、同じようには行動しない。神の行動、神の存在には影響がある。私たちの祈りは弱く、哀れだ。それにもかかわらず、大切なのは、私たちの祈りが強力だということではなく、神がそれを聴いてくださることだ」。

 連帯、祈り、参与は非武装の人々、平和を愛する人々の戦争に対する「攻撃」である。平和を築くことは、民族の間と人々の間の不和を繕うことだ。戦争は戦闘行為の開始の前に始まっている。そこにはまだ行動すること、ひびを制限する可能性がある。憎しみと対話の不在は溝をつくり出す。ヨハネの第一の手紙が教えている。「兄弟を憎む者は皆、人殺しです」(3:15)。この意味で、誰もが社会で憎しみを抑えることができる。苦しんでいる所を熱心にフォローすることができる。世界の運命に「頼る」ことができる。信仰をもって神に祈る。神がすべての人に平和を与えてくださるようにと。この世界には、それはできないのだから。

アンドレア・リッカルディ:イタリアの歴史家、政治家、活動家。1968年聖エジディオ共同体設立。現代史の教授を務め、多数の研究書は様々な言語に訳されている。2011年から2013年まで国際協力・統合相。