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共同体の出会い シノダリタの実践の場

No.1023

共同体の出会い シノダリタの実践の場

 

愛する姉妹の皆様

総会後の歩みを続ける中で、日常生活や出会いを通して、わたしたちは養成への招きから今もなお問いかけられています。「日々の生活において、わたしたちは聖霊の力によって自分自身を新たにするため、ドチビリタスを生きます。それは生活や出会いによって、あらゆる状況の中で養成され、変容されるままになることです。このようなダイナミズムは、カリスマ的福音的価値をあかしする教育共同体として、豊かで、説得力や伝播力がある幸せな召命の活性化を促進しながら、生活や全生涯を通じて学ぶことを学ぶ自由な人とします。」(『第24回総会議事録』35.Ⅰ)

日々の経験に根ざした養成を考えるようにという第24回総会の招きに従って、わたしたちの会則の124条に記載されているように、特に毎週の「講話(confe‐renza)」について考えるために立ち止まってみましょう。

今日の言葉では、ドン ボスコによる手書きの会憲の時から使われてきた「講話」という言葉よりも、「共同体の出会い」と言う方が簡単で分かりやすいでしょう。

マードレ マザレロは、本会創立後すぐに、この点に関する会則への忠実さを示していました。

「司教が出発された後の最初の日曜日、9月15日からヴィカリアは、共同体に毎週の講話をすることを規定する会則の箇条を実行し始めた」(『クロニストリア』2,21頁)。

講話という言葉を明確にする必要があるように思えます。それは、講話という言葉には、特定のテーマについての報告や談話という意味の他に、出会いという意味もあります。この意味で、出会いという用語は、固有のアイデンティティを有するメンバー間の対話、比較検討、相互交流を意味します。そして、共通の歩みを分かち合い、共通の活動指針の観点から、独自の貢献を提供するよう求められています。わたしたちが、共同生活と養成について日頃の経験を理解し、それを活性化できるのは、まさにこの二番目の出会いという意味においてです。

モルネーゼでそうであったように、毎週の出会いをシノダリタの経験の場とするのは、一人ひとりの姿勢と共同体を活性化させる人の知恵なのでしょう。この経験は、他の養成に関する機会とともに、わたしたちの個人的な生活と共同体の生活を少しずつ変化させ、また、新たな使徒的・宣教的躍進のために役立ちます。

           文献とサレジオ会の伝統に耳を傾ける

 

本会創立当初から、毎週の講話は、家族的生活の単純さ、そして聖性の中で共に成長するという決意を分かち合う出会いの場でした。また、通常の養成の重要な機会と見なされていました。人間の生活と成長という現実では、「関わり」と「日常性」という円熟に貢献する二つの基本的な価値があることを覚えておく必要があります。

1871年の手書きの会憲21条と1878年の会憲26条には、次のように書かれています。

「すべての姉妹は、毎週日曜日に開かれる長上の講話に出席する。長上は、姉妹たちの義務を教え、共同体の熱意と規則順守を鈍らせるような欠点を正す。」(試訳)

モルネーゼでは、この講話は、姉妹間の愛の交わりと参加によって全員が穏やかさと献身によって生きる共同体の毎週のリズムの典型的な体験とみなされていました。マードレ マザレロのスタイルは、とても親しみやすいものでした。それは、もったいぶった話し方でもなく、単純率直で、何のてらいもなく、ただシスターや少女たちの善のために役に立つことを目的としていたので、交わりと霊的な雰囲気を生み出していました。

それは、内面性、真理、自分の人生においてイエスが中心であること、サレジオ的召命への忠実の道を妨げたり遅らせたりするものから解放する真の源を思い起こす貴重な機会でした。

クロニストリアには、最初の講話での様子が書かれています。

「マードレは、いつもの謙虚さをもって、『会憲とドン ボスコの望みに従って支部を進行させて行くのは、哀れなヴィカリアだけではありません。それぞれの姉妹も助けと勧めとをもって、それをしなければならないのです。それで、あらゆる意味ですべてがよりよく進行するよう、各々自分の見解を表さなければならないし、また、そうすることができるのです』と話し始めた。」(『クロニストリア』2,21頁)

それは、いのちに触れ、心と知恵が動かされる講話です。「それに参加した人たちの誰も、このような講話の結果を表現することはできません。しかし、誰もがマードレは聖人としてインスピレーションを受けて、話されたと感じ、多くの人が感動して涙を流しました。」(『クロニストリア』2,11)

マードレ マザレロの言葉は、常に参加への呼びかけであり、思慮深さと内的な刷新を喚起するものです。例えば、Sr.ジュセッピーナ・パコットは、講話の後でいつものように時間を見つけてマードレについて行き、さらに生活のレベルに添うような何かの言葉をいただくことを心得ています。彼女の質問に、マードレは単純に実際的な知恵で答えます。(『クロニストリア』3,301頁参照) 

マードレ マザレロとの共同体の出会いがもたらす結果は、効果的で建設的です。それは、エネルギーを回復し、熱意、希望、創造性を呼び覚まします。また、兄弟愛の喜びを培い、精神的な伝染のダイナミズムを引き起こし、彼女自身が確かめることができる程です。「モルネーゼではわたしたちの間で犠牲を奪い合っていました。もっと、もっと、そうするようにしましょう!」       (『クロニストリア』3,281頁)

 

マードレ マザレロは、シノダリタという言葉は知りませんでしたが、姉妹たちとの関わりの中でその意味を生きていました。つまり、一緒に歩くよう励まし、相互の信頼関係を築き、互いに与え、受けることができるよう姉妹たちを導いていました。単純で、資質や創造性の分かち合いを容易にする活性化の形態を実践しました。それは、一人ひとりがカリスマの豊かさを表現し、皆に委ねられた使命に個人として関わっていることが実感できるように、皆の活性化を目的とした関わりを深める戦略となりました。(『神との契約のうねの中で』133参照)

 

これを会憲第35条が求めています。

「したがって、わたしたちは

連帯責任の重要な時として

種々の形態による参加を促進する。また

個人の意見やイニシアティブを

時として

犠牲にしなければならないことが生じても

それを平静に受け止め、

最良の選択ができるよう共同体の対話に貢献する。

長上は、この探求が

姉妹間の一致を促進するようにこれを活気づけ…」

 

シノドス的体験の現代性と効果

講話が実りある養成の機会となるためには、適切な条件を整えなければなりません。平素からシノダリタの練習が行われ、皆が進んで共同生活に参加し、共通の使命に共同責任を感じられるような共同体の雰囲気を作ることが必要です。共同体のメンバーの良好な結束力は、組織的な論理のニーズと直感、洞察、想像の美しさとを調和させ、しばしば、予期しない新鮮な結果をもたらします。

講話、または共同体の出会いは、共同体が円熟と使徒職の新しい道を見極めるために、共同体が持っている特有の「嗅覚」を表現するシノダリタ的な時になります(『福音の喜び』31 参照)。実際、それを通して兄弟的生活や宣教の基本的な意味が伝える経験の解釈を容易にする識別の場となります。創立者の勇気、信仰、明確な目的、愛を持って、最も恵まれない若者の救いの必要性に向かって出向く共同体としての主の呼びかけを聴き、理解するための分かち合いの場、実践の場となるのです。

もし、生き方に触れる体験として講話を生きるなら、それは扶助者聖母会員としてのカリスマ的アイデンティティを強化する場となり、一人ひとり、そしてすべての人の中に聖霊が現存します。また更に、サレジオ的召命を完全に、責任と喜びをもって生きるための不可欠な条件である教会、本会、共同体、教育使命への帰属意識の成長を促進します。 共同体の出会いは、質問や考察を促すことができます。それは、内容を提供し、可能性を提示し、探求や交わりへの意欲を燃え立たせ、振り返りのための前提を作成し、回心に向けて踏み出すように刺激するからです。

時には取り上げる話題がないと嘆くこともありますが、それはたくさんあり、簡単に見つけられるように気付くためには、少し視野を広げれば十分ではないでしょうか。わたしたちは、神のことば、教会の教導職、総長のチルコラーレ(これは共同体で全文をまとめて速やかに読む方が良いでしょう)、会憲、そして、教会や会の出来事からヒントを見出すことができます。これは、わたしたちのアイデンティティを養い、時のしるしや教育上の必要性を読みとり、最も適切で効果的な福音的・カリスマ的答えを識別する基準を提供してくれます。

それは、福音が適切に宣べ伝えられているかどうかを真剣に自問し、常に本質に注意を向けながら共同体に委ねられた使命について振り返るために最適な時かもしれません。すなわち、神の優位性、神の国の到来、カリスマがわたしたちとわたしたちが生活し働く環境の中で輝いているという責任についてです。わたしたちが真にサレジオ的霊性を生き、証ししているか、一人ひとりの中に、また全体として、主に属している喜びを、青少年やわたしたちに出会う人々が感じ取れるかを確認することができます。

もし、わたしたちが兄弟愛と使命を共有する歩みの中で、ミッションパートナーと共に労苦に立ち向かうなら、新たな解決策と強められたカリスマの活力を見出すことができるはずです。

さらに、この講話は、共同体のエネルギーを引き出し、一つにし、交わりとわたしたちに委ねられた使命に集中させる機会でもあります。これこそ、わたしたちが置かれている地域、人々、課題に常に向き合うことを大切にする理由です。また、パウロの原則に従って、何が良いことかを区別し、認識し、吟味するための知識と識別力を養い、今日の文化と対話する感性を高める機会でもあります。「すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい」(テサロニケ1.5,21)。

共同生活における養成的な瞬間の重要性をさらに理解するためには、この経験を最大限に評価する必要があること、簡単に他のことと取り換えないこと、委任したり、省略したりしてはならないことを明確にする必要があります。

それは、院長の貴重な任務であると共に、共同体の任務でもあります。講話は、十分な準備が必要な個人と共同体の責任であり、行き当たりばったりで行うことはできません。

共同体が、提案される過程を認識していると便利です。それにより、傾聴や参加が容易になります。自分の言っていることを具体的にすることは、共感したり、関与したりすることを助けます。話をする際に一貫性、正当性、本質性がコミュニケーションをより効果的なものにしてくれます。

想像力を養い、議論を活性化するための視聴覚資料は、便利な補助資料ですが、それだけでは充分ではありません。わたしは、皆様の努力、忠実さ、創造性に信頼したいと思います。

聖なるご降誕の祭日に向かう準備を聖母マリアに委ね、もう一度、その招きに耳を傾けましょう。「何でもこの人の言うとおりにしてください。」(ヨハネ2:5)これはマリアが人類に宛てた唯一の言葉です。この委託には、いのちと愛の分かち合いがあります。ご自分のFiatを宣言したマリアは、今、召し使いたちに言います。「彼の言うとおりにしてください」と。それは、マリアの内面を如実に反映したものです。みことばを信じた彼女は、今度は自分の信仰を他の人に伝え、彼らが信じて従うのを助けます。カナで、彼女は助け手であり、仲介者であり、自分の人生を喜びで満たしてくれたイエスとつなげる宣教者です」(『第24回総会議事録』 20参照)。

わたしたちの歴史の不確実さと希望の中で、クリスマスの体験によって、イエスを迎え入れ、救い主として彼を世に与えたマリアの人生を満たしたその喜びを、わたしたちも経験できますように。

また、総評議会の姉妹たちの名において、平和と希望の聖なるクリスマスの喜びを、皆様と、皆様のご家族、教育共同体とわたしたちの学校に通う青少年、中でも最も困難な状況にある青少年の皆さんに届きますようにとの願いを込めてお贈りします。

総長アンヘル・フェルナンデス・アルティメと、サレジオ会会員、サレジオ家族の皆様に特別なご挨拶を申し上げます。

わたしたちは、戦争や暴力、貧困など、困難な状況で生活しているシスターや教育共同体の皆様の側に共にいることをお約束します。世界中のすべての人の上に、永遠に続く真の平和がもたらされるようお祈りしております。

心からの愛を込めて

ローマ 2022年11月24日

皆様を愛するマードレ