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世界召命祈願日にあたっての教皇フランシスコの言葉

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 Vocazioneはラテン語のVOCARE(呼ぶ、召す)から派生した言です。それは、自分の側近くに一緒に居るようにと提案すること、お祝いに来るようにと招く意味をもっています。
 Vocazioneは、ですから偶然に生まれるものではなく、招いた方、神様がそれをおくってくださるものなのです。
 司祭や修道者の召命は祈りから生まれます。召命は祈りの中に生まれ、祈りだけが召命を守らせ、実りをもたらすことが出来るのです。「刈り入れは多い。そのために働く人を使わしてくださるよう祈りなさい」と、主は言われました。
 司祭、修道者の召命の一つ一つの後ろには、誰かの強い祈り、堅固な祈りがあるのです。

教皇はご自分の体験をよく語られます。
 「それは9月21日、『学生の日』のことでした。私たち(南米人)にとっては春の最初の日でした。その日のお祝いに参加するためいつも通(かよ)っている教会の前を通りました。中にはいると、知らない一人の神父様がいました。その時私は、ゆるしの秘跡を受ける必要を強く感じました。そして、そこで神と出会ったのです。何故あの時、秘跡を受けたいと感じたのかは分かりません。でも、神は私を待っていてくださったのです。それもずっと前から待っていて下さったのです。秘跡を受けた後、自分が変わってしまったことに気づきました。私は、もう今までの自分ではありませんでした。お召しの声を感じました。そして自分は司祭にならなければならないと心から納得したのです。この体験が大切です。
 私たちはこう言います。『神を探さねばなりません。神のみ元に行き、ゆるしを願わねばなりません』と。そうではありません。神は、私たちが行くとき、既にそこで待っておられます。私たちをゆるすために待っておられるのです。
 召命祈願日は、単に、教会に司祭や修道者をおくってくれるよう神に願う日ではありません。それは、召命について深めるよう全ての人を助けるための日なのです。
 召命とは、自分自身から出るように、そして使命(ミッション)において神に向かって行くよう私たちに呼びかける神に『はい』と言うことです。
 神の呼びかけを聴き、受け止めることは、この地上に神の国を建設するために私たちの存在を賭けて行う具体的で現実的な奉仕です。
 若者たちが自己解放を遂げ、今いだいていることとは別の関心事、別の愛に自分を賭けることが出来るよう祈りましょう。

主よ、私たちの若者が自由であるように、何かの奴隷とならないように、あなたのためにだけ、その心を捧げることが出来るよう助けてください。そうすれば、あなたからのお召しが実を結ぶことでしょう。」