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世界を動かすための修道女の革命

OLYMPUS DIGITAL CAMERA マザー・テレサは平凡な人でした。マザーにおいては、平凡な人、普通の人であるということが特別なことでした。ヒラリー・クリントンは、マザーが背丈が低く、その声は柔らかく、強く自己主張をするようなことも無い、その姿勢に驚いていました。特に雄弁でもなく、女性解放についての新しい理論を有している訳でもありません。マザーの願っていたことは、当たり前のことを普通ではない素晴らしい愛をこめて果たすことであり、これに成功し、世界を動かしたのです。単純素朴な生き方は、この世界を前にして、司祭または修道女が信じるに値することを示す印です。

教皇フランシスコもこのように生きておられるが故に、カトリック信者やその他の人々を引きつけています。現在は、国家だけでなく教会までも信用できない状況にあり、社会全体が、本物・純粋さ・親しみ易さ・謙虚さ・透明さ・特別でなく普通であることを見たいと望んでいます。つまり善良であり、心を乱さず快活であること、他者に助けの手を伸べ、共通善を求め、特に弱い人々のために尽力する人が求められています。

このことは、分かり易く言えば、周囲でおこること一つひとつをあるがままに受け入れることの中に示されます。これが最初の一歩です。私たちは現状を変えたいと願っています。そのためには、先ず、人、そして現状をありのままに受け入れることです。物事の変更などに対してイライラして怒ったり、神経質なったり、他の人を恨んだりしないことです。人生は、仲間や反対者からの圧迫、自分の中にある悪への傾き、孤独、身体の疲労、心理的・霊的疲れなど、個人として、また仕事において様々な困難に見舞われるのが当たり前です。それらをありのままに受けいれるのです。

受け止められた現実は、そのものとして治癒力を有しており、セラピストはそれを現実の治療法と呼んでいますが、信仰者にとってそれは、「神のみ旨の受諾」ということです。「ドン・ボスコは、自分の望みがかなうように尽くしたことはなかった。神に仕えるため自分の望みが粉砕されることも厭わなかった」と、彼の弟子フランチェジア神父は言っています。

つまり、現状とは異なる現実や今とは違う他の重要な仕事、そして他の協働者を熱望せず、今の状況をありのままに受け入れた時、はじめて現状を変えていくエネルギーが生まれてくるのです。 ローマにて 2014.11.5    (Sr.TS)