最初の宣教女派遣140周年記念祭 2017.1.21 ボローニャ(イタリア)
2017年1月14日、ボローニャの「高間の聖母」管区の「扶助者聖マリア」のコムニタでは、静修の日の終わりに屋根裏部屋で見つけた古い額からインスピレーションを得て、たいそう熱心な祈りと感動のひとときを過ごしました。
それは、最初にアメリカに派遣されたシスターたちに、ドン・ボスコから贈られた油絵の額でした。説明書きを読みます。「出発の前夜、ドン・カリエロはサンピエルダレーナで扶助者聖マリアの美しい画像を宣教女たちに贈るとき、冗談のようにおっしゃいました。「おもちなさい。あなたがたのために、わたしはヴァルドッコの香部屋から盗んできたのですよ。これを描いた画家は盲目になる前に、ドン・ボスコの祝福によって奇跡的にいやされて、これを描いたのです。ドン・ボスコ自身も、聖母が長い旅の間、あなたがたに同伴してくださるように、これをくださったのですよ」。
最初の若い6名の宣教女たちの出発の125周年記念の思い出は、本会の『クロニストリア(編年史)』の中に感動すべき記録があります。ドン・ボスコとマードレ・マザレロのうら若い霊的娘たちの感動すべき別れの場面が詳しく述べられています。「ドン・ボスコは微笑み、ことばをかけ、勇気づけます。ドン・カリエロは近付く別離の時を快活に迎えさせようと心を配っています。サレジオ会員たちとシスターたちはドン・ボスコの周りにひざまずいて祝福を願います。父は手を上げて一同を祝福しますが、創立者の目には涙があふれ、階段のほうに急いで行って、ハンカチーフをポケットから取り出そうとしますが、手が震えて見つからず、涙を抑えることができません。ようやくハンカチを見つけて涙をぬぐったのち、それをポケットにおさめようとして、落としてしまいました。そのとき、スオル・ボルニャは素早く別の洗濯したハンカチを差し出し、父の涙にぬれたハンカチを拾って恭しく接吻しました。聖人の涙であると信じたからです。このハンカチはアメリカに到着してからも涙をぬぐうことでしょう。
船橋からこのグループは感動して挨拶しました。ドン・ボスコは、涙をかろうじて抑えているマードレ・マザレロに、最後の眼差しを注ぎました。ドン・カリエロは皆の心を慰めるために、いくつかの面白い話をしたかったのですができませんでした。しばらくして、ドン・カリエロは言いました。「わたしはこれをヴァルドッコの香部屋から盗んで着ました。あなたがたのために盗んだのですよ。目をわずらって盲目になりかかった人がこれを描いたのです。この人はドン・ボスコに依り頼みました。ドン・ボスコは彼に絵を描くことを勧めたのち、彼を祝福しました。その時から彼の眼病はすっかり治りました。そこで彼はこんなに美しいこの聖母を私たちに贈ってくれたのです」。ドン・ボスコはそれを再び祝福し、宣教女たちにくださる。「これを持って行きなさい。そして聖母があなたがたを祝福し、長途の旅行中、あなたがたのそばにいてくださいますように」。ドン・ボスコは最後に、泣くのをかろうじて抑えているマードレ・マザレロをじっと見つめておられました。ドン・カリエロは最後に皆を慰めるために、面白いことを言いたかったのですが、できませんでした。ドン・コスタマーニャは宣教女たちが聖母をたたえる歌に、ピアノで伴奏しましたが、海の波の音に歌声は消えていきました。「マリアよ、あなたを愛します!」(クロニストリア 邦訳 2巻(下)P,159)。
FMAは、扶助者聖母会の総長、マード・イヴォンヌ・ランゴアのお勧めを受け入れ、本会の宣教熱意を刷新し、新宣教女たちの識別の時期に、「扶助者聖マリア」ピエモンテ管区に滞在している姉妹たちのためにお祈りで一致しましょう。