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ノヴァンタコンテスト その他部門

ノヴァンタコンテスト その他部門として、「年輪」※1998年から2001年に発行された上・中・下3巻の扶助者聖母会会員回想録を読んで寄せられた感想を発表いたします。

「年輪」を通しての新たな発見 

来日90周年を迎え、改めて「年輪」の文書を読み、感じるままに分かち合わせていただきます。

1929年、6名の宣教女の来日に伴い、これに続いた初期の姉妹たちの苦労、犠牲、奉仕などすべて神の愛と人々への救いのためと自分を捧げ尽くしていかれた多くの姉妹たちに、感謝と喜びそして魅力を感じます。

その魅力とは「貧しさ」「働き」「祈り」「神と聖母への信頼」「奉仕」「喜び」「本会への帰属意識」です。戦火の只中、極貧の中で絶えず食料難に見舞われ、「今日子供たちに何をたべさせようか」と必死に探し当て、寄付を願い、時には善意ある人々からの少ない援助でまかない、言葉では言い表されない犠牲を強いられていました。それでも姉妹たちはこの犠牲を当たり前かのように、ひたむきな姿勢で受け入れ、すべてを捧げていたことがわかります。この文書を読みながら、自分の年齢と重ね合わせ、改めて自己の甘さを痛感しました。こんな苦しい状況の中でも初期の姉妹たちは、喜んで働き、日々、祈りを捧げ、人々に奉仕していました。それは、宣教女たちがモルネ-ゼの初期の姉妹たちの生き方を、自ら実践していたものと思います。その宣教女と共に手を休めることなく、イエスの愛のため、貧しい子供たちのためにまた、若者の召命を願って無私無欲で働き続けました。この姉妹たちは多くの模範を私たちに残してくれました。働きながら祈り、苦しい時、喜びの時、失意の時も常に聖母に信頼し委ねていました。それは深い信仰によるものと思います。姉妹たちは「喜びの人」「希望に生きる人」「幸せをもたらす人」の証し人です。この「年輪」を通して主は常に共におられ、助け、導きの手を差し伸べられていることに気づきました。「主はよいお方だから決して悪いようにはなさらない全て、よいように計らってくださる」との確信がもてました。よき手本を残してくださった多くの姉妹の生き方が自分の奉献者としての歩みの源泉とし、喜びと感謝のうちに日々を捧げて生きたいと思います。

*私の「召命」を助け、霊的示唆を与えて下さった今は亡き姉妹の思い出

 Sr大山スエ子 マリア  志願者だった私はシスタ-のお供で横浜支部の手伝いに行くことになり、その道すがら、「祈り」の大切さについて話してくれました。「祈りは召命にとり欠かせない武器です。特に聖母に信頼して聖母の七つの喜びと悲しみの祈りを暗記して毎日、唱えなさい。きっと聖母は助けてくれます。」と私に関心を向け、召命の恵みを大切にするよう祈りの約束をしてくれました。私はそれを暗記し唱えたことを今も記憶に残っています。

Sr山田カズエ クララ 大分支部にいた頃、Srクララは小百合ホ-ムの同窓生の世話役を引き受けていました。ある日、昔の卒園生が遺骨を持って相談にみえ、この遺骨(小百合の卒園生)の引き取り手がいないということでした。シスタ-はこれを引き受け、即、別府教会に何度も足を運び主任司祭との交渉のすえ、教会の墓地に埋葬してもらいました。この時の自分を惜しまず与えるシスタ-の姿と犠牲、愛徳を学びました。

Srマルクッツオ・マルゲリタ 調布支部で、まだ元気な頃、ある日「〇〇〇小学校の生徒たちが訪問に来るのでシスタ聖堂にお願い・・」と頼みました。案の定、シスタ-のそばには子供たちが集まり、Srマルゲリタは満面の笑顔で優しく接していました。後で一人の子供は「マリア様のようなシスタ-と出会った」と話していたそうです。聖堂を訪問する方々にとり、シスタ-の存在は格別でした。その後、体力が日増しに弱くなり、ある時、突然、居室で倒れ、二人がかりで起こそうともシスタ-は激しく痛みを訴え、触れない状態だったので、ついに救急隊員の力を借りることになりました。その方が「痛いですか」の質問にシスタ-は「イエス様はもっと苦しみました。これくらいの痛みは大丈夫・・・」思わず二人は苦笑、その後、病院に搬送しました。そこでも医師や看護師に愛想よく、応対するので、皆から慕われていました。面会者を快く迎え、口から出る言葉は「イエス様マリア様、チマッチ神父様」と祈りだけを口ずさんでいました。昔は犠牲の多い仕事も喜んで引き受け、働きを通して人々の救いのために自身を捧げていらしたとのこと・・つらいことが、あってもつぶやかず、ひたすら生き抜かれたシスタ-、これこそ本物の宣教女だと思います。

Sr小澤タツ テレジ-ナ シスタ-は学園の台所で働き、私はポストランテで、その手伝をしていました。ちょっとした合間にも私を気づかい、霊的なことばかをかけてくれました。ある時は、チマッチ神父様の講話を記した手書きのノ-トを貸してくださり、私はそれを写して自分の心の糧としました。その後、私がユニオレスの時もシスタ-は山中支部の調理場で働いており、ここでも、ひたすら、惜しみなく喜んでその務めを果たされていました。ある時、来客のための料理になかなか、取り掛からないので、私はイライラして早くするよう、ことばに表してしまいました。その時、シスタ-は「料理は温かいものは温かく、冷たいものは冷やして差しあげるのが、調理の基本で、愛のある行為です。聖書には、イエスの名によって冷たい水いっぱいでも差し上げる人は天国では大きな報いを受けるとかいてあるように、私たちは水よりも高価な肉を差し上げるのですから、主はどんなに大きな報いを下さるでしょうか」と・・・私はシスタ-の優しさと真心に触れる思いがしました。また、シスタ-からは犠牲の精神と謙遜、そして宣教に対する熱心さを学びました。

その他、まだまだ、多くの姉妹から隠れた善を学びました。生前、姉妹たちが築いてくださった聖性を思い起こしながら、過去への感謝、現在に生きる私たちの聖性への歩み、そして未来に続く若者の召命の芽生えを主に祈りつつ生涯、自己の奉献生活を歩んでまいりたいと思います。この機会を与えてくださり、ありがとうございました。

                            2019年1月29日

                                 Sr加藤昭子