共に希望をもって一歩ずつ
Maria Ausilia De Siena, FMA
希望を持って共に歩むことは、魅力的であると同時に、努力を必要とする旅でもあります。それは、困難な時期に、とりわけ困難な時期にあってこそ、信頼、積極性、回復力を持って未来に立ち向かうために不可欠な、連帯、相互支援、喜びを分かち合いという概念を想起させます。これは強制や幻想、または一つの選択ではありません。これは召命であり、信仰と人生の歩みにおいて、神と仲間たちとの交わりに招かれているすべてのキリスト者に与えられた使命です。
希望をもって共に歩むことは、わたしたちのサレジオのカリスマにおいて非常に深く、活力にみちた意味を持ちます。ドン ボスコとマードレ マザレロにとって、教育と福音宣教は、若者たちの先を歩くのではなく、「彼らの間で」歩み、来る日も来る日も慈愛と忍耐、信頼をもって彼らに同伴しながら若者と共に分かち合う道のりの実りでした。現代においても、紛争と分断に満ちた、分断され、希望を失わせそうな世界において、若者が信じることが難しく、家族が教育の任務においてしばしば孤立し、途方に暮れている中で、同伴する共同体のpresenzaは希望のしるしです。誰も一人で教育するのではありません。もし、一人で進むなら、希望を持って生きることはできません。
サレジオのスタイルで共に歩むということは、家族のような環境を築くことであり、そこで若者が受け入れられ、尊重され、同伴されていると感じられることです。若者の心、彼らの夢と苦労を理解し、共に生活を分かち合い、彼らが決して一人ではないと感じさせ、一つひとつの歩みが重要であり、常に耳を傾け、信頼を寄せ、表面的なものを超えて見守り、裁くことなく励まし、すべての若者が未来の約束であるということを分かることを意味します。サレジオ会の教育共同体は、家族的精神を実践し、健全な人間関係を築き、互いの弱さを支え合いながら深い答えを探求し、復活したキリストとの出会いの喜びを日常に体現し、比類ない旅の伴侶として歩み続けます。誰一人取り残さないこの教育的な歩みにおいて、あらゆる小さな気遣い、あらゆる「耳元でささやく言葉」、わたしたちの周りに撒かれたあらゆる平和の種は大きな価値を持ち、わたしたちには属さないがわたしたちを完全に巻き込む、より偉大な働きに根ざした、素朴で奥深いライフスタイルを創り出します。これは神の業です。神はわたしたちを信頼しておられます。そうです、神こそが歴史を導きれ、その導きは人間の行動、開かれた心、諦めない勇気、そして「わたしたち」に対する信頼を通して、希望に形と実体を与え、一歩ずつ、共に歩んでくださいます。