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亡き姉妹のおもかげ Sr.戸村

シスター 戸村 多惠子 コンソラータ

 

帰天年月日

2025年11月18日

場所

大分県

修道生活

79年間の修道生活

略伝

 シスター戸村多恵子コンソラータは、1925年6月18日、宮崎県児湯郡高鍋町で、6人兄弟姉妹の長女として生まれました。生まれて2か月後、聖母被昇天の祭日に洗礼を受け、コンソラータの霊名をいただきました。家族について、シスター戸村は次のように書いています。「父は口数が少なく几帳面な人で、信者として教会奉仕にとても熱心な人でした。家族で朝・晩の祈りやロザリオの祈りを一緒に唱えていました。本当に祈りの家でした。」と。

 サレジアン・シスターズとの出会いは、宮崎に支部があった頃にさかのぼります。まだ幼かった多恵子さんの心は、シスターたちとの関わりから心ひかれ、特に宣教女であったシスターソラリ・カルメラから勧められて11歳の時に寄宿生としてシスターたちと共に生活するようになりました。その後、1942年、17歳の時に、別府聖マリア・マザレロ修道院で志願者の生活を始め、ポストラート、修練期へと進み、1946年8月5日に別府聖マリア・マザレロ修道院において初誓願を立てました。養成期間中は戦争の時代であり、これから日本はどうなるのだろうか、自分は本当に誓願を立てることができるのだろうか、という不安を持ちながら召命の道を歩んでいけるようにと祈り続けていました。

 初誓願後、1946年12月から1970年3月までの約24年間、別府聖心修道院で看護係、受付、衣類係として使命を始めました。洋裁の腕は高く、とても丁寧な仕事をしていました。

 1970年から2016年3月まで、中津、大分、別府、大村の各修道院で、衣類係、受付、香部屋係などの修道院内を中心とする使命を生きました。心に残っていることとしてシスター戸村は、大村修道院で教会の種々の奉仕や幼稚園のスクールバスの手伝いをしていた頃のことをあげ、「信者さんからは女神父様とも呼ばれていました。まさに教会の中で呼吸していたようでした」と印象深い言葉で当時の自分を思い起こしています。

 「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。」シスター戸村はヨハネによる福音書13章のこのイエスの愛の掟を心に、サレジアン・シスターズとして、青少年の魂の救いのために生涯を捧げてきました。

 2016年からは大分修道院で静養の生活に入り、2019年7月からは施設にて、手厚い介護を受けながらいつも穏やかに、静かに過ごしました。

 シスター戸村多恵子コンソラータは、11月18日、午前9時44分、最愛の主のもとに静かに旅立ちました。100年と5か月の生涯、79年の修道生活を全うしました。