シスター 伊藤 知惠子 ルチア |
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帰天年月日 |
2022年8月26日 |
場所 |
東京都 |
修道生活 |
64年間の修道生活 |
略伝 |
Sr.伊藤は、2人姉妹の次女として生まれましたが、父は知惠子が生後7か月目に亡くなり、母もその2週間後に亡くなりました。そのため姉は伯父に引き取られ、虚弱だった知惠子は母方の祖父母のもとで大切に養育されました。祖父は京都で神道の神主をしていたため、知惠子は幼い頃から神道色の濃い親族、縁者の多い環境で育ち、この祖父から人間としての生き方を教えられ、「父」と慕う祖父をとても尊敬していました。 カトリックとの出会い、受洗にいたった動機については、戦後の改革で、信仰の自由が認められるようになると、キリスト教の宣教も活発になり、1950年に園部教会主任司祭との出会いがあり、祖父が「お前はこの頃変わった。自分を変えることができる宗教は素晴らしい!」と言われた言葉が励みとなり、1951年に受洗。その後2年間は、カテキスタとして奉仕しました。 サレジアン・シスターズとの出会い、修道召命の道に進むきっかけとなったのは、大阪天王寺支部を訪問した時、初期のシスターたちや、サレジオ会宣教師が青少年たちの間で生き生きと働いている姿を見て感動し、自分も修道院に入ってあの人たちのように働きたいとの望みをもつようになったとのことでした。 入会に際しては、最初は理解してもらえませんでしたが、やがて「伊藤家からも神様にお仕えする者が出ても良いだろう」との親族の同意を得て、1954年3月、大阪玉造修道院に入会し、1958年、調布修練院で初誓願を立てました。 立願後、小学校教諭の資格を取得し、1958年から1994年まで36年の長きにわたり、城星学園(大阪)、星美学園(赤羽)、明星学園(別府)、目黒星美学園の各小学校で教師また司書教諭として奉仕しました。1994年から2004年までは、山中雪の聖母修道院にある山中湖村児童学習教室で小学生たちの学習指導をしました。 教育現場を退いてからは、大阪玉造修道院で受付や教会司牧に従事しながら、できる奉仕をしていました。 少しずつ体力が衰え始め、2017年4月からは調布聖ヨセフ修道院で静養に入りました。しばしば聖堂に行き、ご聖櫃の前で長い間静かに祈っていました。 最期は、お世話にあたってくださった方々一人ひとりに「ありがとうございました」と感謝しながら、静かに天に召されました。こうして、88年の生涯、64年の修道生活を全うしました。 |