ニュース クローズアップ 2016.9.5
ローマ(イタリア)。ローマの殉教録には9月1日に記録され、サレジオ会のカレンダーには9月22日と記されていますが、シスターたちの殉教の日は、正確には1936年9月6日です。その場所は海に近い競馬場で、シスターたちの家から約7kmのところでした。今はもうある部分しか存在しませんが、土地も記憶も失われてはいません。各FMAにとって、私たちの殉教者の血が流された聖地は、いつまでも心に残っています。今年はその殉教の80周年に当たります。この聖なる地に、霊的に花束をささげ、ろうそくをともして諸聖人の通功に信頼し、そのとりなしにより、主が世界をテロリズムから救ってくださるように祈り、そして彼女たちの列聖の日を早めてくださるように祈りましょう。
彼女たちがキリストに忠実の崇高な証しを立てるように呼ばれた時、スオル・カルメン・モレーノは51歳で、スオル・アンパーロ・カルボネッリは43歳でした。彼女たちの唯一の過ちは修道女であるということと、コムニタを離れることの出来なかった病気の姉妹、スオル・ザンマルを看病するために残ることを自由に決意したことでした。1936年9月12日、3人とも逮捕されましたが、スオル・ザンマルは9月3日に釈放され、9月10日にイタリア行きの最後の船で逃げることができました。9月12日に彼女はトリノに着きましたが、自分のために犠牲をしてバルセロナに残った2人の姉妹の運命を知ることはできませんでした。
2人のFMAは9月4日に起訴され、競馬場で6日の未明に銃殺され、午前中ずっとその遺体は放置されていましたが、13時ごろ大学病院に運ばれました。記録に残すために、写真と共に診断されました。処刑された時には名札はなく、“4676”と“4677”という数字の札が首にかけてありました。2人の数字は続いており、3つの数字は共通です。これも、サレジアンの召命と殉教の勝利を彼女たちに与えた英雄的愛のしるしとなっています。
スオル・カルメン・モレーノとスオル・アンパーロ・カルボネッリは2001年3月11日に、ヴァレンシア教区の他の200名の殉教者と共に列福されました。その中に、バルセロナのテッラコネンセ管区に所属する29名のサレジオ会員と一人の信徒もおられます。今年はその列福の15周年に当たりますが、今も殉教の時代は終わらず、むしろ毎日世界の別の場所で、新たな名前が加えられていますが、誰もその日と時間を知りません。私たちは殉教の崇高な証しを立てるように召されたすべての方々のためにお祈りしましょう。