ページのトップへ

ロザリオの祈り マリアとともにキリストのみ顔を観想する

No.1027

 

ロザリオ祈り

マリアとともにキリストの顔を観想する

 

愛する姉妹の皆様

5月の準備は、わたしたちの生活と会の歴史におけるマリアの存在についての考察を皆さんと分かち合う機会となります。

聖マリアについて話すことは、創立者の貴重な遺産であり、扶助者聖マリアの娘としてのわたしたちのアイデンティティを照らしてくれます。

それは単なる信心に関することと言うよりも、むしろ、教育的使命と密接に繋がる生き方についての明確な根拠に由来する存在に関することです。「わたしたちも、特に青少年の間で、聖母のように『扶助者』であるために」(会憲4条)、「生活の中で聖母の現存を実感し、すべてを聖母にゆだねる」(会憲4条)のです。

わたしたちは、マリアのように、何よりもマリアとともに生き、現代世界でわたしたちの助けを必要としている多くの青少年のために、マリアの母としての使命を受け継ぐよう呼ばれています。

わたしたちサレジアン・シスターズの生活を刻む祈りは、さまざまな状況において聖母の存在を、感謝と親愛の情を込め、日々思い起こすことに焦点を合わせています。個人的、共同体的に評価され、生き生きと活気づけられた典礼上の祝祭日、伝統的な礼拝の表現、聖母への委託の祈り、毎日のロザリオの祈りは、皆が愛し、認めている存在のしるしとなっています。

聖母マリアのためのひとときを内面的に再度活気づけ、これを生きる努力に変えることが大切です。「修道者の真の信心は、わたしたちのすべての務めをその時と、その場所で、ただ神をお愛しするためにだけに果たすことにあります」 (クロニストリア II 338)。 そして、「聖母月にあたって、聖母のお気に召す一番美しい徳の花は、春の木々のように精神的に自分を新たにすることです。つまり、他のことを付け加えないで、朝にする十字架の印をはじめとして、夜にする最後のそれに至るまで、毎日の信心業を非常な熱心をこめてすることです」(クロニストリア II 134) 。

会憲の条文では、会の使命は非常に明確です。それは、創立者の教育的、マリア的遺産を歴史の中に存続させることです。ドン ボスコとマードレ マザレロの生涯におけるマリアの役割は、たとえ道が異なっていたとしても、その霊的、使徒的成長にとって基本的なものでした。会憲では、サレジアン・シスターズが、青少年のためにキリストへの完全な奉献を生きる方針を、「マニフィカトの喜びに満ちた謙遜のうちに」(会憲 4条)生きるようにと明示していす。

このようにしてのみ、その生活は、「マリアの母性的配慮」(会憲7条)をもって、「青少年の心にひそむ期待に対する救いのこたえ」(会憲1条)となることができます。

「わたしたちを導かれたのは聖母です」(MB XVIII 439)というドン・ボスコの確信を思い起こし、神と隣人への献身の輝かしい模範として彼自身がわたしたちに示した無原罪である扶助者聖マリアに信頼を寄せることを宣言します。聖母と共に、わたしたちは信じる者の至福を生き、すべての人、特にわたしたちに委ねられた青少年のために、いのちと希望を生み出す使徒的働きに献身するよう呼ばれています。

会憲44条は、わたしたちのマリアの祈りのスタイルを次のように示しています。「わたしたちは、単純と信頼のうちに聖母のもとにはせ寄り、聖母の典礼上の祝日を喜び祝い、教会とサレジオ的伝統に固有な祈り、特に毎日のロザリオの祈りをもって聖母に崇敬をささげる。このロザリオの祈りによって、わたしたちは、聖母との交わりのうちにあがないの神秘を思いおこす」と。

このチルコラーレでは、わたしたちサレジアン・シスターズの生活におけるロザリオの祈り、教会の祈り、共同体の祈りの価値、神の母への民衆の信心の現れでありながら教会的、サレジオ的伝統に強く根ざしているこれらの祈りの重要性について述べることにいたします。

わたしたちにとって、毎日のロザリオは、教会の中で、マリアと共に、マリアのように青少年に対する「先に愛してくださった神の愛のしるしと表明」(会憲1条参照)であるようにとの招きの明らかな表現である「カリスマ的な」祈りです。

 

ロザリオの祈りを再発見する 

教皇フランシスコは、2020年4月のパンデミックの最盛期に書かれた書簡の中で、5月には「神の民は特別な熱心さをもって、おとめマリアへの愛と崇敬を表し」、ロザリオの祈りの素晴らしい表現であることを想い起こしました。

かつては、家族と一緒にそれを祈るのは普通のことでしたが、この美しい習慣は、さまざまな理由で、今日では忘れられているようです。そのため、教皇は、現在の困難な状況の中でこそ、それを取り上げるよう信者に呼びかけています。さらに、聖ヨハネ・パウロ二世の使徒的書簡「おとめマリアのロザリオ」を想起し、現在の歴史的状況の中で、過小評価され、若い世代にほとんど教えられないという危機にさらされているこの祈りに再び関心を寄せる機会を投げかけています。

ロザリオはマリアへの祈りという性格を持っていますが、それは、つつましい内容の中にも、福音のメッセージの深さを含んでいます。聖霊がご自分のうちに成就された神のことばの受肉というみ業に対して、永遠にマニフィカトを歌うマリアの祈りがこだましているキリストを中心とした祈りです。

それは、イエスの生涯と、さまざまな秘儀におけるマリアの現存を考察し、再び読み深めることをできるようにする祈りです。すなわち、疲れているときでも唱えることができる祈り、そして、特に歴史の中の困難な時に、家族、教会、社会、世界の平和のため、また、特別な意向に合わせて、わたしたちの願いをいつでも主に捧げることができる祈りです。

ロザリオの祈りによって、キリストのみ顔の美しさを観想し、キリストの愛の深みを経験するようマリアによって導かれます。ロザリオの祈りによって、一人ひとりが人生の歩みに立ち向かうために必要な恵みと恩恵を、聖母のみ手からいただくのです。

聖ヨハネ・パウロ二世は、先に引用した使徒的書簡の中で、真の「聖性への養成」として、キリスト教の秘儀を観想する努めを信者の間で促進する有効的な手段として、ロザリオを紹介しています。「この聖性への養成には、何よりもまず、キリスト教文化の一つの特徴である祈りの業が必要です」。

さらに、わたしたちは、特に過去2世紀において、マリアが人類に対して、救いの神秘を観想し、神の前にマリアの助けと執り成しを求める祈りを捧げるように招いた多くの時を忘れてはなりません。教会は、この祈りの特別な効果を熟知し、最も困難な状況をこの祈りに委ね、つねに実践してきました。キリスト教そのものが抑圧された時、この祈りの力は危険と困難を克服するのに役立ちました。

 

マリアと共に、マリアのように祈り続ける

 ドン ボスコはまた、ロザリオをとても愛し、毎日祈りたいと思っていました。この祈りは、日毎のパンと同じように生きるために必要なものだと言っていました。マンマ マルゲリータがそう教えていたのです。メモリエ・ビオグラフィケのページを開くと、このように書かれています。「幼い頃のヨハネを知る人々は、彼の祈りへの愛と聖母マリアへの深い信心を証言しています。オラトリオの初期から晩年まで、青少年たちが毎日ロザリオを唱えるよう望んでいましたから、ロザリオは彼にとって馴染み深いものだったに違いありません」(MB I巻 90頁)。

興味深いことに、ドン ボスコがベッキに建てた最初の小聖堂は、ロザリオの聖母に捧げられたものでした。毎年、収穫の時期になると、ドン ボスコは母親と一緒に故郷に帰っていました。兄のジュゼッペは、弟神父が聖体祭儀を捧げるために毎日小教区まで歩かなくてもいいように、個室の他に、小聖堂に使えるようにもう一部屋を与えたのでした。

1869年まで、彼は毎年ロザリオの聖母を祝うことを好み、音楽隊とヴァルドッコの少年合唱団の参加を得て、聖母を荘厳に祝いました。その小さな部屋は、ドン・ボスコが望んでいた最初のマリア崇敬の場であり、サレジオ会の初期の特権的なあかしでもあります。実際、1852年10月3日、ミケーレ・ルアとジュゼッペ・ロッキェッティは、ここで神学生としての制服を受けました。ドミニコ・サヴィオも1854年10月2日、ドン ボスコとの最初の出会いの際に、この小聖堂で祈りました。

ドン・ボスコがヴァルドッコのオラトリオに青少年のための安定した住み家を見つけたのは、マリアへの祈りのおかげであったことを忘れることはできません。

オラトリオで最も一般的な信心業は何であったかについて、『メモリエ・ビオグラフィケ』にはこう書かれています。「何よりもドン・ボスコが心に留めていたのはロザリオの祈りでした。ですから、彼は15の奥義を非常に短い観想によって表現していました。彼は、祝祭日にはロザリオの一環を唱えさせ、可能な限り、この敬虔な習慣を家庭で曜日毎に毎日続けるよう、青少年に熱心に勧めました」(MB3巻16頁)。

ドン ボスコは、ロザリオの祈りを、自分の教育法の不可欠な側面の一つと考えていました。1848年2月、カルロ・アルベルトの親友で王国の上院議員であったロベルト・ダゼリオ侯爵によるオラトリオ訪問の栄誉を受けました。ドン・ボスコは家中のすべての部屋を案内しました。侯爵は深い満足感を示しましたが、いくらかの困惑もありました。彼は、ロザリオを唱える時間は無駄であると断言しました。「50のアヴェ・マリアを次々とつないでいくあの古臭い因習を止めさせなさい」と。「そうですね。わたしはこの習慣がとても気に入っています。そして、この上にわたしの会が設立されたと言えます」とドン・ボスコは答えました。「他にも多くの重要なものを捨てたいのですが、これはそうではありません。」そして、勇気をもって彼らしく、こう付け加えました。「また、もし必要であれば、あなたとの貴重な友情を放棄したとしても、ロザリオを唱えることは決して放棄できません」(MB 3巻294頁)と。

ドン・ボスコが宣教師の夢の中で見たものによると、サレジオ会員を世界に送り出した偉大な宣教事業でさえ、ロザリオの祈りによって特徴づけられていました。「そして、わたしたちの宣教師が原始人の大群に向かって前進しているのを見ました。宣教師たちは人々を指導し、彼らはその声に快く耳を傾けました。宣教師たちは教え、人々は注意深く学び、彼らの忠告を受け入れ、それを実践しました。わたしは立って観察していると、宣教師たちが聖なるロザリオを唱えているのに気づき、人々は四方から走り寄って列をつくって宣教師たちに通路を譲り、快くその祈りに答えました」(MB 10巻 55頁)。

ロザリオの祈りは、ドン ボスコの生涯に最後まで伴っていました。「頭痛と衰弱した肺、そして殆ど見えなくなった目で、何もすることができなくなっていた彼が、目が光に耐えられないので、時には暗がりの中で、絶えず落ち着いて微笑みながらロザリオを手にし、貧しいソファに座って長時間を過ごす姿を見るのは辛く、また、慰められる光景でした」(MB 17巻 262頁)。

モルネーゼにも同じようにマリアの霊性が強く息づいていました。クロニストリアと、マードレ マザレロや初期の姉妹たちに関する様々な伝記から、休み時間中の会話は、ほとんどいつも霊的な話題であったことがわかります。ご聖体と聖母への訪問は頻繁に熱心に行われていました。仕事をしている間でさえ、ロザリオを唱えたり、連祷や聖マリアの聖歌を歌ったりして祈っていました。

マードレ マザレロの言葉からは、時折、会の将来に対する懸念と、そのカリスマ的アイデンティティへの忠実さが感じられました。「ドン・ボスコの言うことが実現すれば、わたしたちの修道会は世界中に広がり、アメリカにまで行くことになるでしょう。

しかし、その中に同じ精神が保たれ、常に大きな善を行うことを望むのであれば、会の最初の会員であるわたしたちは、高徳な人であるだけでなく、後に続く人たちが会の真の精神が輝いているのを見ることができる鏡とならなければなりません。その人たちがこう言えるように、わたしたちは生き、働き、話さなければなりません。つまり、「最初の姉妹たちの間には、どれほどの熱意があったことでしょう。これほどの会憲遵守。なんという謙遜と清貧。素晴らしい従順の精神。こうして、わたしたちの模範に従って、会の真の精神を自分たちの中に生き続けさせることができるでしょう。姉妹が増え、会が大きくなるにつれて、必然的に精神は衰え、熱意や情熱は次第に薄れていくでしょう。これは、多くの修道会で起こったことだとドン ボスコはおっしゃいました。しかし、もし最初の者であるわたしたちが緩み始め、愛さなければ、また、謙遜と清貧を実践せず、沈黙を守らず、主と一致して生きないとすれば、他の人たちはどうするのでしょうか」(マッコーノ著 扶助者聖母会の共創立者 初代総長 聖マリア・ドメニカ・マザレロSanta Maria D. Mazzarello Confondatrice e prima superiora generale delle Figlie di Maria Ausiliatrice, Vol. I, 399-400)。

このように、日々の困難と仕事の最中であっても、神との一致の中で生きることができるよう、姉妹たちを熱心で絶え間ない祈りへと励ましました。ロザリオの祈りをおろそかにすることはありませんでした。その祈りによって会の真の上長である扶助者聖マリアに絶えず心と思いを寄せていました。そして、ドン ボスコと同じように、「聖母マリアに大きな信頼の心を寄せるのです。マリア様はいろいろあなたがたを助けてくださるでしょう」(手紙 23, 3)と、よく繰り返していました。

 

心の祈り

2016年にマリア年を開始した教皇フランシスコは、ツイッターで「ロザリオはわたしの心の祈りであり、わたしの人生に常に寄り添う祈りです」と書いています。同じようにわたしは、「ロザリオはわたしの心の祈りであり、わたしの人生に常に寄り添う祈りです」と、わたしたち一人ひとりが言えるようになって欲しいと思います。それは、その時々に刻まれる主の実存の奥義の中に見られる主のみ顔を、マリアとともに観想する祈りですから。

信仰の巡礼の道すがら、マリアはおん子の人生のすべての歩みを共にすることによって、母性を表します。静かにイエスを待つお告げの時から、カルワリオの痛ましい苦しみ、そして復活の栄光と聖霊降臨まで。1214年に聖ドミニコによって初めて公開された伝統的な奥義に、聖ヨハネ・パウロ二世が光の奥義を加えたいと考えられたことを、わたしたちは知っています。「幼年期とナザレの生活から、イエスの公生活へと通り過ぎながら、観想は、「光の奥義」という固有のタイトルで呼ぶことができる奥義へとわたしたちを伴います。

実際には、すべては光であるキリストの奥義です。

キリストは、「世の光り」(ヨハネ8,12)です。しかし、この側面は、特に、彼が神の国の福音を宣べ伝える公生活の歳月に現れます。

キリストの生涯のこの段階における5つの重要な瞬間、すなわち『光りに輝く』奥義をキリスト者の共同体に示したいと思い、これらの奥義の一つひとつが、イエス自身の人格(ペルソナ)において今到来した王国の啓示であると信じています(『おとめマリアのロザリオ』21)。

ロザリオの祈りでは、わたしたちはアヴェ・マリアのすべての力を体験することができます。1917年の出現の際にファティマのシスター ルチアが「この終わりの時に、おん父がロザリオに与えられた力によって解決できない個人的、家族的、国家的、国際的な問題はありません」と言ったことを思い出しながら。

ドン・ボスコとマードレ マザレロが、青少年の教育において、このマリアの祈りをどれほど重要視していたかを知ることができます。マリアへの祈りとマリアによる神への執り成しの力に依らずに始められたサレジオ会の事業や使命はありません。神のお告げの時の大天使ガブリエルの言葉をもって聖母の優しいみ名を、それぞれの奥義で10回繰り返すことは、教会と世界におけるその母性へのわたしたちの信頼を表しています。それは、娘や息子として互いに認識することであり、賢明な母であり師である方への絶えることのない信頼の実践を意味します。わたしたちは彼女から、であることとすること、信仰と行い、祈りと働き、神への奉仕と青少年への教育的奉仕の間の内的統合の秘訣を学びます。

このチルコラーレのテーマを読み、深めることは、わたしたちがロザリオを通してマリアへの娘としての愛を、個人としても共同体としても、創造的な忠実さをもって再び動機づけ、新たにするのに役立ち、この単純で具体的な祈りと観想の形で、青少年、家族を活気づけるに際し、わたしたちを支えるよう希望します。

5月24日、わたしはトリノの扶助者聖マリア大聖堂におります。皆さんお一人ひとりと、すべての教育共同体を思い起こし、そして世界が緊急に必要としている平和のために、わたしの祈りを今からお約束いたします。

心からの愛を込めてご挨拶します。         

2023年4月24日 ローマ

               皆様を愛するマードレ