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亡くなられた姉妹のおもかげ Sr.門奈

シスター 門 奈 正 子 マリア・テレジア

 

帰天年月日

2024年12月24日

場所

東京都

修道生活

59年間の修道生活

略伝

 東京千代田区神田で両親と3人の子どもの長女として生まれました。誠実なで実直な父は木細工師で、戦後の貧しさの中にあっても両親は将来を考えて教育を大切にし、種々の体験の場を与え、学校の休暇には群馬の山村の自然のなかでハイキングや登山を楽しんでいました。また母親から「分かち合うこと」の大切さや調理を教えてもらい、持っている良いものを人に気前よく差し出し、自分の手元には残さない寛大さは小さい頃から家庭で養われました。小学生の頃は戦禍を逃れて群馬県に疎開し、戦後は埼玉県の戸田市で生活を始めました。1957年4月、星美学園高等学校に入学し、開校間もない星美学園で、多くの熱意に満ちた宣教師宣教女たちの明るくいきいきとした姿に魅了され、祈ることも学びました。カトリック信者の友人が多くいたこともあり、次第に信仰に生きる心が芽生え、高校1年生の時のクリスマスに星美学園聖堂でクレバコーレ師より洗礼を受け、マリア・テレジアの霊名をいただきました。

 この頃からすでにシスターになること、同じ敷地内にあった乳児院でボランティア活動をするようになり、貧しい子どもたちのために働きたいと望むようになりました。1960年、高校卒業を機に、両親の許可なくアスピランテとして修学院に入り、1963 年 1 月 31 日にポストランテ、同年8月に修練期をはじめました。この頃、シスターになるという事実に両親は驚きましたが、Sr.門奈の固い決意を理解し、1965年8月6日に初誓願をたてました。

 立願後すぐに、東京聖マリア・マザレロ修道院(修学院)でユニオラートを過ごし、翌年4月からは東京扶助者聖マリア修道院に異動し、マリアの宣教者フランシスコ会経営の聖母女子短期大学に通い、看護師、養護教諭の資格を取得し、1972年からは星美ホームの看護師、保育士として11年間、1983年から別府聖マリア・マザレロ修道院に異動し、別府小百合愛児園で6年間、1983年別府聖マリア・マザレロ修道院の児童養護施設、小百合愛児園で保育士、1989年世田谷の幼き聖マリア修道院で目黒星美学園中学高等学校の養護教諭、宗教科教諭として17年間中高生と共に過ごし、アメリカやオーストラリアでのホームステイの引率の使命を果たしました。生徒と共にボランティア活動グループ『ラウラ』を立ち上げ、特に東日本大震災による東北の被災地のボランティアに参加するなど心に残る体験と出会いをしました。再度星美ホームで子どもたちのアシステンテをした後、1年間の生涯養成コースに派遣されて、修道生活、またサレジアーナとしての人生の歩みを振り返り、自己を刷新するための恵みの時を過ごしました。2008年から山中雪の聖母修道院で黙想の家の奉仕、2010年、東京扶助者聖マリア修道院で院内の介護や看護、星美学園中学校高等学校宗教科、養護教員として働きました。2016年4月、調布聖ヨセフ修道院に異動し、高齢のシスターたちの介護、看護のために尽くし、2020年、山中雪の聖母修道院に異動し、翌年から修道院の院長に任命されましたが、次第に心臓疾患による健康不良となり、以前手術をした乳がんの転移で肺がんと診断され、頻繁な通院と休養が必要となり、今年3月より、調布聖ヨセフ修道院へ一時滞在とになりました。

 調布聖ヨセフ修道院にいても、山中修道院の院長としての務めは怠らず、支部の姉妹と頻繁に連絡を取りオンラインで会議を行い、時には山中に帰り必要な仕事を果たしていました。

 12月24日は検診日であり、出かけるために院長が部屋に入り、呼吸停止状態のSr.門奈を発見しました。この日は丁度、彼女の洗礼記念日でもあります。享年82歳、59年の奉献生活を全うしました。

 「とても働き者、なんでも手早く、頼んだことは喜んでしてくれる。頑張りやで、整理整頓家、人を喜ばせることを常に心がけていた」姉妹と言われていました。生涯中、「すべてのことは、父からわたしに任せられています」という聖書の言葉を心の支えとして生き、どこにいても「ダ・ミィ・アニマス」の精神を力強く生き抜きました。