シスター 小山 幸惠 マリア
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帰天年月日 |
2024年12月4日 |
場所 |
別府 |
修道生活 |
44年間の修道生活 |
略伝 |
長崎県平戸市で、信仰篤い両親のもとで9人兄弟姉妹の5女として生まれ、生後まもなく紐差教会で洗礼を受け、マリアの霊名をいただきました。父親は教会のことには非常に厳しく、祈りの時に居眠りしたり、おしゃべりしたら後から厳しい注意が待っていたり、やり直しさせられたりしました。しかし、子煩悩で一人一人を分け隔てなく可愛がってくれました。母は、おとなしく、子どもをありのまますべて受けとめ、温かい包容力でよく世話をし、可愛がって育てました。 地元の学校を卒業後5年間ほど会社に勤め、1971年、姉の紹介で当時山梨県山中湖村にあったサレジアンシスターズの児童養護施設星美ホームに3年間勤めました。小学生の頃から「自分はシスターにはならない」と心に決めていましたが、神は、徐々に彼女をサレジアーナとして生きる道へと招かれました。その当時、一緒に星美ホームで働いていた時に出会ったパウロ会のシスターに「あなたはお姉さんシスターの所に行き、子どもたちのために働くシスターになったら?」といわれ、心に葛藤をいだきながらも、キリストのために一生を捧げる生き方に惹かれている自分の心を振り切ることができず、司祭の霊的指導による識別をもって、1974年、東京聖マリア・マザレロ修道院に志願者として入会しました。1977年3月25日ポストラート、1978年1月23日に調布で修練院をはじめ、1980年1月24日調布聖心修道院で初誓願をたてました。当時、新しい召命の減少により、修練者は一人だけでした。 初誓願宣立後、ユニオラートのため東京聖マリア・マザレロ修道院にいき、守護の天使修道院の星美ホームの子どもたちのアシステンテとなり、1982年東京扶助者聖マリア修道院に移りユニオラートインテンシーヴォ、1983年から、別府の聖心修道院で学生志願者のアシステンテをし、召命の道を歩み始めようとする中・高生と生活を共にしました。その後の8年間は明星学園高等学校の寮生のアシステンテ、1996年、東京守護の天使修道院へ異動し、1年の生涯養成コースに通い、自分の修道生活の刷新のための様々な学びの時をもちました。異なる修道会のシスター方との出会い、フィリピンでの体験学習は、彼女の心に奉献生活の根源に立ち戻り自分を見直す重要な時となりました。1997年から再び星美ホームでのアシステンテを16年間、2013年、大分聖ヨゼフ修道院に異動し、小百合ホームの施設長、また修道院では副院長や支部評議員として修道共同体の姉妹たちへの奉仕をし、2019年からは社会福祉法人 小百合愛児園の理事長に就任し、今年1月突然、急性骨髄白血病発症の診断を受けまでの5年間、小百合ホームの子どもたち、職員のために奉仕しました。この間、地域のニーズに応え、施設の多機能化を図るため、施設の大改修工事のために力を尽くしました。 2024年1月26日、一週間ほど前から脚に痛み、赤く腫れていたため近隣の皮膚科に受診したところ、すぐに大きな病院に行くようにと言われ、別府医療センターに行き、診療、検査の結果、急性骨髄性白血病の診断を受け、緊急入院し、数日後から強い抗がん剤治療を受け、Sr.小山が信心をもっていた福者スオル エウゼビア・パロミーノの取り次ぎを願って祈り続けてきました。それから11か月、可能な限りの治療のおかげで、夏には一旦退院しましたが、わずか3か月で再発し、親族の見守りのなかで、12月4日午前10時41分、最後の主の招きに「はい」と答え天に召され、75年の生涯、44年の修道生活を全うしました。 スオル小山はルカの福音から「神にお出来にならないことは何一つありません。すべては神のみ手の中に・・・」というみ言葉を人生の道しるべとし、創立者の精神をしっかりと身に着け、学生志願者、寮生、特に施設の子どもたちに寄り添い母の心をもって世話をし、生涯、特に社会福祉施設の子どもたちの間で平静さと責任感をもって使命を全うしました。 |