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亡き姉妹のおもかげ Sr.市瀬

シスター 市瀬 ヤエノ 

帰天年月日

2023年4月14日

場所

大分県

修道生活

67年間の修道生活

略伝

Sr.市瀬は、6人兄弟姉妹の4番目の子どもとして信仰篤いカトリック信徒の家に生まれ、マリアの霊名で洗礼の恵みに浴しました。

父親は、菓子屋を営んでいましたが若くして亡くなり、母親は栄養師として海軍将校たちの炊事場に勤め、戦後は農業に従事しながら、6人の子どもを育てました。Sr.市瀬は母親の苦労している姿を見て、子どもながらに欲しいものを我慢していたのを覚えていると書いています。

女学校に入学後、戦争から帰られたマラリア罹患の長兄の長い闘病生活を支えるため学校を休み、必要な薬を購入する資金確保のために働きながら世話をしました。自分のことよりも人のために尽くす、というSr.市瀬の姿はすでに小さい時から培われていたことがわかります。

サレジアンシスターズのSr.スクリバーノやSr.モッタなどの宣教女の姿を見ていて、シスターへの望みが芽生え、姉と同じサレジアンシスターズに入る決意をしました。1948年11月7日、姉の迎えを受けて、別府聖マリア・マザレロ修道院に入会しました。入会にあたってSr.市瀬はこう書き残しています。「修道院に行きたいとの望みを伝えたとき、母が泣いている姿を思い出し、入会後も、一人で働く母を手伝うために帰ろうかと何度も考え苦しみました。心をこめて祈るうちに、苦しみも和らぎ、母からも、家のことは心配しないで頑張るようにという励ましの手紙をもらい、すべてを神様に委ねて、自分の召命の道を歩み続けました」と。

1953年1月31日別府でポストラート、同年8月5日に別府で修練期を開始、1955年8月5日に東京扶助者聖マリア修道院で初誓願を立てました。

立願後は、東京扶助者聖マリア修道院、1957年には調布マンママルゲリータでサレジオ神学院の若い神学生、神父様方に奉仕、1961年から1983年まで50年以上にわたって各支部で調理を担当しまたし。その後、次第に体力が低下し、療養生活を始めましたが、2023年4月14日午後9時26分、静かに穏やかに、復活の宴に与るために招かれ、天のおん父のもとに召されました。91年の生涯、67年の修道生活を全うしました。

いつも喜びのうちに、調理場での使命を果たしながら、サレジアーナとして最後の息まで若者の霊魂の救いのために捧げ尽くし、残る姉妹たちにキリストのよい香りを残してくださいました。

長い奉献生活の間、一番心に残っている思い出は、創立者の地、イタリア巡礼に行かせてもらえたことですと言い、いつも感謝して、生き方の支えとしていました。

「心の清い人々は、幸いわいである。その人たちは神を見る。」Sr.市瀬ヤエノが好きだったみことばです。晩年、視力を失うなかで、ただ神様だけを見、愛し、サレジアーナとして奉献生活を全うしました。