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亡き姉妹のおもかげ Sr.藤井

シスター 藤井 敦子 アガタ

帰天年月日

2022年8月17日

場所

東京都

修道生活

65年間の修道生活

略伝

Sr.藤井は、1930年8月27日、広島県福山市で、5人兄弟姉妹の4女として生まれました。家族はとても穏やかでご両親も優しい方だったようです。

1945年8月の広島原爆投下の時、女学生だったSr.藤井が目にした悲惨な光景、被災者の苦しみ、夢中でその人たちを介抱した体験は筆舌に尽くし難い苦しみを経て、主が、洗礼によってご自分の十字架を共に担うようSr.藤井を招かれたのも丁度その頃でした。

当時、イエズス会宣教師が福山の元憲兵隊跡地に教会を建てました。Sr.藤井はその教会の宣教師との出会いから、洗礼を受ける勉強のために週に1回、自転車で教会に通っていたそうです。1948年10月、18歳の時に福山教会で洗礼を受けました。その後数年間、県内のカトリック学校や新設されたばかりの「福山暁の星学院」で勤務しました。入会した召命のきっかけについて、勤務先で見た宗教劇を通して、主がSr.藤井の心に強く働きかけたのではないかと思われます。やがて、サレジアン・シスターズのある姉妹を通して本会を知るようになり、別府の修道院を訪問したりするうちに、自分の召命を堅固なものにしたようです。カトリック信者でない両親から修道生活の召命の道を選ぶことについて理解してもらえず、その困難、苦しみを受けとめながらも主のお召しに「はい」と答える芯の強さ、信仰をもっていました。その後、お母様も受洗なさり、お父様も臨終の時、洗礼の恵みを受けたと言うことです。

 1953年3月に別府聖心修道院に入会し、立願後はすぐに別府聖心修道院に派遣され事務の仕事に従事したのを皮切りに、1959年からは大阪無原罪の聖マリア修道院、1966年4月からは東京聖マリア・マザレロ修道院、同年10月からは東京扶助者聖マリア修道院、1968年からは東京守護の天使修道院、1971年からは調布聖心修道院、1973年からは東京扶助者聖マリア修道院で、受付係としての使命を果たしました。1974年からは調布マンマ・マルゲリータ支部に異動し、衣類係としてはたらき、1977年からは大阪天王寺の聖ヨハネ・ボスコ修道院、1983年からは調布マンマ・マルゲリータ修道院で衣類係をつとめました。1999年からは調布聖心修道院、調布聖ヨセフ修道院で、療養しながら院内の仕事に従事しました。1974年~1999年3月までの20数年間は調布と大阪天王寺支部で衣類係としてサレジオ会の神父様や神学生のために献身的に奉仕しました。次第に体力の衰えかんじるようになり、1999年4月からは調布修道院に移って療養生活に入りました。

一言で言えば、Sr.藤井は祈りの人、寡黙な人でした。また、いつも微笑みをたたえて人に接していました。生涯中、いろいろな支部で、主に受付と衣類係としての使命を果たしましたが、どこにいても、どのような仕事をしていても、青少年の救いのためという、自分の使命をしっかりと意識し、沈黙のうちに祈りながら仕事を丁寧にきちんとこなし、サレジアン・シスターズとしての召命を全うしました。