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N 1018
「出向いて行くモルネーゼ」
生活によってイエスを宣べ伝える共同体
愛する姉妹の皆さま
世界共同体感謝の日にあたって、わたしがいただいた多くの愛情と親しみのしるしに心からの感謝を込めて皆さまにお手紙を書き、また皆さまが心に抱いているすべてのことへのわたしの祈りをお約束します。皆さまとご一緒に、様々な方法で感謝の集いに参加してくださった教育共同体とサレジオ家族の方々に感謝します。また、わたしがいただいた具体的な連帯のしるしは、今、最も必要としている人々への贈り物となりますので、皆さま方に心から感謝しております。
わたしたちは、愛するサレジオの地への巡礼を対面またはオンラインで分かち合い、わたしたちの歴史を辿りながら、マリアが望まれ、多くの文化と社会の変化の中で、時を超えて、マリアに支えられた修道家族であるという恵みを、改めて楽しみ、感謝することができました。
会憲第1条は、本会の起源を思い起こさせ、数行で扶助者聖母会員のアイデンティティを記述しています。「聖霊のたまものと聖母の直接の働きかけによって、聖ヨハネ・ボスコは、青少年の心にひそむ期待に対する救いのこたえとしてわたしたちの修道会を創立した。彼は、善い牧者キリストの愛に鼓吹された霊的遺産を本会に伝え、宣教への強い推進力をもたらした」と。
教皇フランシスコは、第24回総会の間にわたしたちを訪問してくださった折、わたしたちが生きている現代をカイロスに変えるように招かれました。つまり、わたしたちのカリスマの源泉に立ち返り、奉献生活の本質に取り組み、その美しさを再発見する好機とするよう招かれたのです。それは、わたしたちが、福音の預言であり、キリストとその生活様式のあかしであるようにと求める主と現実からの呼びかけです。わたしたちは、絶えずカリスマを再考し、その活力をすべて今の時に表現できるように、聖霊の創造性と協働できる奉献された女性です。
ドン・ボスコは、本会に宣教的な強い特色を与えました。
わたしは、本会のアイデンティティの本質的な要素である宣教の次元(会憲75参照)を皆さまと一緒に深めるために、この点に注目したいと思います。
会憲の第6条には、マードレ・マザレロによって独創的かつ創造的な方法で受け止められ、共有されたドン・ボスコの生涯の理想がとても良く表現されています。「『Da mihi animas cetera tolle(我に霊魂を与え、他のものは取り去りたまえ)』のモットーは、『小さな人々、貧しい人々』に自己をあますところなく与えるようドン・ボスコとマードレ・マザレロを導いた。これこそ、わたしたちの教育使命の魂である。このモットーは、庶民の子どもたちと青少年、とりわけ最も貧しい青少年のキリストにおける全き自己実現に協力するよう、わたしたちを促す。わたしたちは、初期の宣教熱意を生き生きと保つように努めながら、…神の国の建設のために働く。」
宣教精神は、キリストに従うことに深く根ざしているもので、使徒的な大胆さで表現されます。わたしたちにとって、これは福音の喜びに動かされて教育への情熱と、堅固で生き生きした刷新の探求へと変化させる原動力となります。宣教性は、わたしたちの人生の自然な側面として経験されるべきものです。もし、わたしたちが一つ一つの行いにおいてイエスを宣べ伝えたいという強い願いを感じていないのでしたら、教皇様がわたしたちに思い起こさせてくださるように、「イエスに向かって、再びあなたに引き寄せてくださいと、もっと祈る必要があります。」(「福音の喜び」264)
ドン ボスコがサレジオ会員と扶助者聖母会員に提供し、マードレ マザレロが分かち合い、全面的に受け入れられた聖性は、青少年の救いのために、根本的に、大きな寛大さをもってイエスに従うことを生きるということです。
神を知らせ、愛されるようにすることは、光と愛、そして無限を渇望する人間の心の最も深い要求に応えることです。これこそ、マリア・ドメニカ・マザレロの教育プロジェクトの基本的な宣教の動機でした。
ですから、その娘であるわたしたちにとって、霊的生活は、神の現存に生き、神が共にいてくださることを感じ、小さなことや規則で定められていることを忠実に果たし、特に教会でキリストの救いの使命に参与し、神の愛のうちにとどまることです。
ヴァルドッコとモルネーゼの初期の共同体に共通する使徒的緊張感は、熱心で、強い目的意識があり、自分自身や自己の中心的な立場を探し求めるのではなく、大きな犠牲を払ってでもすべてに適応していくことを示してくれています。
これは、喜ばしく、また厳しい生き方のモデルの一つです。それは、限界を置かず、また躊躇することなく温順さ(ハンカチのたとえを思い出しましょう)によって日々形づくられる寛大な自己犠牲を土台とする生き方です。「すべてを取り去ってください(cetera tolle)」これは根本的な選択を要求します。つまり、疲れをしらない働き、忍耐強い愛徳、大胆さ、関わりにおいての優しさ、共同体として果たす使命に忠実であることです。
1878年にモルネーゼで開催された最初の院長集会の決議事項には、次のように書かれています。「わたしたちの修道会の不可分的な二つの目的は、自分自身の聖性に励むことと、主を賛美することによって、修道会の役に立つ存在となること。一人の女性が、自分の魂のことだけを考えて入会したのであるならば、その女性は扶助者聖母会員に課せられる義務を果たすことに適していない」(Orme di vita, 239)。
したがって、宣教の次元は、扶助者聖母会員のアイデンティティそのものに属しているのです。
1881年2月の第3回宣教女派遣の際、宣教女たちが間もなくサンピエルダレナに向けて出発しようとしていた時、マードレ マザレロは非常に体調が悪く高熱を出していたのですが、ドン ボスコに扶助者聖母会員に向けて何か一言、お言葉をくださるよう頼んだことを思い出すことは興味深いことです。彼は喜んでその願いを受け入れ、宣教女にこう言いました。「…主があなたがたに教えてくださるように最善を尽くして働くのです。しかし、この仕事は分かち合うなら、決して大変なことではないでしょう。一人一人が、三人分ではなく、一人分だけをするようにしなさい。それは、あなたがたの健康を維持し、神の助けを借りてあなた方を聖なるものにするための良い生活の規則です。わたしは、皆さんにお勧めします。「何も取っておかないでください。」つまり、悪い感情、疑惑、嫉妬などを持ち続けないことです。こうした惨めさをイエスの足元に置いて、幸せに生きてください。隣人に対する愛徳をお勧めします。」(Maccono F.., Santa Maria D. Mazzarello II, 321訳者試訳)
Srロレンツィーナ・ナターレが思い出しているように、宣教女たちがいよいよ出発するのを前にして、マードレ マザレロは、短い記念の言葉を伝えるために力を振り絞りながらこう言いました。「たゆむことなく自愛心、傲慢と戦うこと。謙遜、信心深さ、単純さを」(同上 327)と。
ドン ボスコとマードレ マザレロは、「da mihi anima」の熱意は「cetera tolle」の現実的な見解なしには表現できないと教えています。豊かな生命力の秘密はここにあります。
わたしたちの歴史全体は、扶助者聖母会員が、最初から、いかに教育的で福音宣教的な自己認識を持っていたかを記しています。これは一つ一つのサレジオ的な行いを統合する根拠なのです。そして、宣教の視点は、行われる事業の種類にそれほど依存するのではなく、神の栄光と青少年の救いのために生きるという意識、つまり心の根本的な姿勢にあると確信しています。
このような態度は、召命上の統合を実現するのに役立ち、宣教に豊かさをもたらします。
会憲75条は、わたしたちに次のようなことを思い起こさせてくれます。「宣教的次元は本会の歴史の最初からみられる。それは、本会のアイデンティティの本質的要素 および 普遍性の表明である。わたしたちは神のことばが今なおのべ伝えられていない人々の間で働く。それは、これらの人々が、自らの渇望と彼らの文化的諸価値の深い意義をキリストのうちに見いだすことができようにするためである」と。
この非常に重要な側面は、言語や文化の壁を越えて、さまざまな国に開かれた宗教的な家族に属しているという意識を育みます。そして、これはわたしたちの体験に広く普遍的な視野を与え、それによってシスターがある管区から別の管区へだけではなく、ある国から他の国へと移動することは、相互の交流、帰属意識、国家(国民)主義の克服を促進し、また会の宣教的側面を具体的に目に見えるものとします。このように、会の生活と世
界における継続的な発展を共有することで、すべての会員の責任が成長していきます。
「出向いていく」共同体
わたしたちは、本会の起源において、アメリカに到着した最初の宣教女が、福音と予防教育の文化内開花の実り豊かさを体験したことを、感謝の念をもって思い起こしています。
彼女たちは、未知の土地で福音を宣べ伝えるために、あらゆる犠牲と困難に立ち向かう覚悟をもつ、偉大な宣教熱意に燃えていた若い女性たちでした。
堅固な召命の動機に動かされた姉妹たちは、霊的知性と寛大な心でその土地の文化や出会った人々の必要を理解し、福音的な応えと生活のあかしとして、犠牲があっても、寛大に貢献しました。
イエスへの深い愛に根ざし、教会の状況に開かれ、使徒としてのより広い視野をさらに広げるこの基本的体験は、今日のわたしたちの教育的使命を鼓舞し続け、どこにいても宣教熱意を新たにしてくれます。
わたしたちは、共に、新しい「宣教に出向いて行く」ようにと呼ばれています。それぞれの共同体は、主が目の前に開いておられる宣教の道がどれであるかを見極めるよう求められており、わたしたちは皆、寛大にこの歩みをするよう乞われています。それは、快適な生活を後にして、福音の光を必要とする周縁地域に出向いて行くことです。
弟子たちの共同体の生活を満たす福音の喜びは、福音が宣べ伝えられ、徐々に実を結び始めているしるしとしての宣教的な喜びです。しかし、そのためには、脱出と自己贈与をダイナミックに(力強く)実践すること、つまり、自分から出て、疲れることなく絶えず、新たに種をまきに行くことが求められるのです。
福音を宣べ伝える人は、他の人たちと共に探し求めつつ、たえず歩んでいます。これは、わたしたちの共同体にも当てはまります。すべての人に注意を払うこと、誰をも置き去りにしないこと、ついて来るのが難しい人にも距離を置かないこと、居心地のよい人間関係の中に引きこもらないことは、どれほど大切なことでしょうか。福音を真に告げ知らせる人は、世界からも、共同体からも逃げようとはしません。福音を告げ知らせる人は、神の愛の夢を喜んで受け入れ、この愛を分かち合う旅の仲間であるすべての人のところに出向いて行こうと努めます。この人にとって敵はいないのです。
教皇フランシスコは、2019年11月に開催された国際会議「出向いて行く教会」の参加者への講話で、次のように言われました。「わたしはとても簡潔に、福音の喜びは、イエスとの出会いから生まれるということを、お伝えしたいと思います。わたしたちが主に出会うとき、わたしたちは主だけができるその愛に溢れます。ですから、神がわたしたち自身を超えるところへと導かれることを認めるとき、人生は変わり、わたしたちは自分自身のさらに真実な存在へと到達することができるのです。そこに福音を伝える行動の源があります。それは、その時点で、宣べ伝える必要性が自然に生じ、言葉がなくても、証を抑えることができなくなるからです。このようにして、復活の朝、女性の使徒マグダラのマリアが、復活し、生きておられるイエスに会った後、使徒たちに伝えに行ったことから、福音宣教は始まりました。
カリスマである新しいぶどう酒は、150年の間、本会に召命の豊かな実りを育み、宣教共同体「出向いて行くモルネーゼ」であるようにと呼ばれていることに喜びと感嘆を強めています。その共同体は、自分たちの生活でイエスを宣べ伝える共同体、変化に挑戦し、福音の諸価値をあかしする共同体、実存的周縁、地理的周縁に見られる様々な形の貧困に挑戦する共同体です。(第24回総会議事録 26参照)
第24回総会では、生き方のスタイルとして宣教的シノダリタを優先的に選択しました。わたしたちは共に、イエスの宣教者派遣に耳を傾け、それに応えたいと望んでいます。「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」。そして、その「あなたがたは行って」ということの中に、わたしたちの教育使命の新しいシナリオと課題を発見します。
教皇フランシスコは、わたしたちが恐れずに前進することを勧めておられます。「間違いを冒す恐れや、新しい道を踏み出す恐怖に捕らわれないでください。人生において、わたしたちは皆、間違いをおかすものです。それは普通、当たり前のことです。希望のケリグマ(福音)である復活を告げ知らせることより優先させるものはありません。わたしたちの貧しさは障害ではなく、貴重な道具です。神の恵みは弱さの中に現れるのを愛されるからです(2コリント12章9)」(謁見2020年1月15日)。師の模範に忠実に、わたしたちはすべての人に、あらゆる場所で、あらゆる機会に、遅れることなく、恐れずに、福音を宣べ伝えるために出かけていきます。
今年の聖霊降臨祭は6月初旬に行われ、マリアが婦人たちや「イエスの兄弟たち」とともにいた「上の部屋」を思い起こさせ(使徒1章14参照)、また、わたしたちを出向いていく教会として、8月5日に最高潮を迎える150周年記念の祝典に向けて、教育者、教育共同体として、旅を続けるよう促します。
カリスマへの忠誠のしるしとして、モルネーゼの初期の姉妹たちのように、わたしたち皆の中に、またあらゆる環境内に「宣教女としての召命の促進」(会憲75条)に対する関心を再燃させるよう皆さまにお願いいたします。
新たな福音宣教の星、扶助者聖マリア、人類が今遭遇しているこの困難な時代に、わたしたちが福音の新鮮さをあかしできますよう助けてください。神の国がすべての人に宣べ伝えられるよう、最初の宣教女の熱意と、新しい道を探し求める大胆さをお与えください。聖母よ、傷つき、苦しむ人々のために、平和を神により頼んでください、世界各地で起きている戦争の脅威を止めることができますように。 新しい世代に、より良い世界を期待する希望が与えられますように。
皆さまからいただいた贈り物に、心から感謝いたします。皆さまを祝福し、祈りをもって皆さまがたに同伴いたします。
扶助者聖マリアの祭日に、わたしはトリノの大聖堂に参りますので、皆さまのいのち、宣教女の心をもって喜んで「出向いて行くモルネーゼ」でありたいという皆さまの願いを聖母マリアにお委ねいたします。
ローマ 2022年5月24日
皆様を愛するマードレ