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亡き姉妹のおもかげ Sr.澤

Sr.澤 八重 ジョアンナ

帰天年月日

2020年8月14日

場所

東京都

修道生活

67年間の修道生活

略伝

Sr.澤 八重は、1928年、内科・小児科医であった父親と、専業主婦の母親のもと、
5人兄弟姉妹の3番目として静岡県静岡市で誕生しました。
すぐ下の妹、Sr.澤みよも本会の会員です。
カトリックの家庭ではありませんでしたが、父親は理解を示し、娘4人を、サンモール会(現在の幼きイエス会)経営の不二高等女学校(現在の静岡双葉中学高等学校)に通わせました。
在学中、宗教を学び、修道生活に関心をもち始めましたが、戦争中はカトリックを公に信じることができず、戦後、改めて静岡教会でパリ・ミッションの神父様に要理を学び、1947年2月15日に洗礼を受けました。
この時期に教会で、本会のSr.テレジーナ柴山とSr.エリザベッタ平手に出会い、親しく交わるようになり、FMAのシスターたちは多くの戦災孤児のお世話をしていることを知り、心を惹かれ、
シスターたちの召命に対する熱心さ、犠牲の精神、深い信仰、貧しい中にも明るく過ごしている様子に心をうたれ、主任神父様の反対を押し切って、本会入会を決意しました。
1949年1月31日、静岡で本会に入会します。ちょうど「静岡星美学園」として学校を始める時期でもあり、養成よりも、掃除に明け暮れる日々でしたが、「志した以上は、どんな困難があっても続けよう」と固い決意をもって前進していきました。
Sr.柴山やSr.平手シヅがいつも支え、励ましてくれたことを、感謝の念をもって思い起こしています。またこの時期に従順、清貧、犠牲の精神を学んだとも書き残しています。
1951年8月に開始した修練期も、午前中は子どもたちの洗濯、午後に勉強となっていて、疲れのために眠気との闘いでした。
けれども、そのような犠牲を強いられる状態を「喜んで捧げることができたことに感謝している」と当時を思い起こしています。
1953年8月5日、初誓願をたてた後は、大阪城星学園幼稚園教諭をはじめ、
約40年間、大村、大分、目黒で幼稚園の主任や園長としての使命を果たし、家庭教育にも力を注ぎ、自己を捧げました。
1979年には、ローマ本部で3か月の生涯養成コースに参加、1984年には聴講生として1年間ローマのアウクシリウム大学で学び、
会の源泉に触れました。
1993年から約8年間は、大分県別府市の明星学園で事務長の任を果たしました。
そのうちの7年間は共同体の院長でもありました。別府市の少子化の影響を受け、
明星学園も生徒数が年々減少し、ときの上長たちは別府大学との合併を決断しました。
このため、大変苦労したSr.澤にとって、その当時のことは、特別な思い出として心に残っていたようです。
最後の支部となった「守護の天使支部」では、院内の仕事を使命として心をこめて果たしていました。
この4月に膵臓癌が見つかりましたが、本人の希望で手術は行わず、苦しい闘病の期間を過ごしつつも、
最後まで取り乱すこともなく、天国への強い望みを心に、聖母被昇天の祭日の前晩に、静かにおん父のもとへ旅立って行かれました。