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5月を聖母マリアと共に

2016.5.4
 ローマ(イタリア)。
聖母マリアに捧げられた5月について思いをめぐらすと、母性愛こもる仲介者であられることが心に浮かびます。聖母月の歴史は中世に始まり、美しい花の咲き香る自然界を尊ぶ異教の祝日や、5月の女王、あるいは5月の花嫁を祝う風習を、キリスト教に取り入れるようになり、聖母を被造物の中で最高に優れた方としてあがめるようになったのです。12世紀の頃から、シャルトルの哲学者たちは、マリアを偉大なる御母として尊ぶようになりました。
 シャルトルは哲学の学びやとして有名であっただけでなく、聖母マリアにささげられたすばらしい記念聖堂も建立されました。最初にこの聖堂で5月に聖母を賛美する祭典を行ったのは、カスティリアとレオンの王であったアルフォンソ10世でした(13世紀)。この祭典の時に、王は聖母マリアを称える賛美歌を音楽家に作らせて、聖歌隊に歌わせました。ばらの花の中でもっとも美しいばら、女性の中でもっとも優れた女性、唯一の姫君、あなたは天国において聖者たちの中でもっとも光り輝く方、など。
1677年に、フィエゾーレの修練院で、“Comunella”という名称で、最初の聖母信心会が結成されました。5月1日の祝日になると、前の日から信者たちは聖堂に集まって、聖母に賛美の歌をささげました。5月の間は日曜日ごとに、後には毎日、聖なるおとめマリアを賛えて歌いました。この信心業はイタリア半島全土に広まり、聖母の連祷を歌い、聖母像にばらの冠をささげ、月の終わりの日には銀のみ心をささげました。春の女神の代わりに、天の女王になりました。マントヴァではこの月の日曜日と祭日に17世紀の末から毎晩、おとめマリアに歌をささげ、祝福を戴きました。イエズス会のディオニジ師は1725年からヴェローナでマリアの月を公に祝い、家庭にも仕事場にも聖母の小さい祭壇を置いて、信心業をするように勧めました。18世紀からは、徳の花の実行と射祷をささげ、月の終わりに、自分の心を聖母にささげるようになりました。1854年に無原罪の御やどりの教義が全ヨーロッパと南北アメリカに普及したので、聖母マリアに自分の心を奉献する意義が神学と司牧の面で明確になりました。福音書(ヨハネ 2、5)に読まれるように、平和と喜び、兄弟愛と、信仰に生きることを望むならば、主が言われたとおり、マリアのうちにキリストの光の反射を見ることができます。これらの信心業をするための祈祷書も18世紀にはさまざまな本が出版されました。5月は夏の輝く光に先だって花が咲き香るように、キリストの民はマリアを通して無限の美である神に、愛をささげることができます。

参考サイト Maggio con Maria